マーチ・86G
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マーチ・86G (March 86G) は、マーチ・エンジニアリング作成の1986年型グループC・IMSA-GTP用汎用シャシである。
- ^ 「特別編集「ル・マン。見果てぬ夢」『Racing On』、三栄書房、2012年、59頁。
- ^ “Le Mans 24 Hours 1986 - Photo Gallery - Racing Sports Cars”. 2020年5月14日閲覧。
- ^ “International Motor Sport Association 1986”. 14.2.2007閲覧。
- ^ “IMSA Camel GTP Championship 1986”. Driver Database. 2013年9月20日閲覧。
- 1 マーチ・86Gとは
- 2 マーチ・86Gの概要
- 3 BMW GTP
- 4 脚注
日産R86V
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1985年シーズンは「シルビアターボC」、「スカイラインターボC」の名前でレースにエントリーしていた日産のCカー (マーチ・85G/日産) だったが、1986年シーズンのマーチ86G/日産は「日産・R86V」の名でエントリーしている。この命名ルールを作成したのは日産自動車の大久保芳美。 日産は前年に引き続き3.0 L V型6気筒ターボエンジン・VG30を搭載してグループCレースに参戦した。シャーシは86G-5〜86G-8を購入し、86G-5は当初ホシノレーシングに提供されたが、1986年ル・マン用に日産ワークスチーム (ニスモ) にリースされた。86G-6および86G-7は日産ワークスチーム (ニスモ) によって運営され、86G-7はハセミモータースポーツ、86G-8はパーソンズレーシングチームに販売された[要出典]。 デビュー戦は国内耐久の開幕戦、鈴鹿500 km。ホシノレーシングのシャーシ86G-5のみが参戦した。しかしプラクティス中のエンジン炎上で決勝には参加できず、実質的なデビュー戦は第2戦の富士1000km、チーム・ルマンからエントリーのマシンが5位で完走している。 シャーシ86G-5はこの年が初出場となる日産のエースマシンとしてル・マン24時間に遠征するが、予選で24位を獲得した後、決勝は4時間ほどでギアボックスの故障でリタイヤとなった。帰国後の国内耐久では4戦中3戦でフロントロウを独占する速さを見せたが、決勝ではリタイヤが多く一度も表彰台に立てなかった。 翌1987年は、日産が主力マシンをV型8気筒VEJ30搭載のマーチ・87G (R87E) に移行したため、V型6気筒を搭載するマーチ86Gを使用するのはサテライトのチーム・ルマンのみとなったが、熟成不足のV型8気筒エンジン搭載車よりもむしろ好走を見せることも多く、WEC-JAPANでは3.2 Lに拡大したアルミブロックVG30、和田孝夫のドライブで日本の自動車メーカーのエンジン搭載車初のポールポジションを獲得した (ただし決勝は通常のスチールブロックのVG30を使用した)。最終戦富士500 kmでも連続ポールポジション獲得。決勝でも日産Cカーとして事実上初めて優勝争いに加わり過去最高の4位に入賞している。 翌88年もチーム・ルマンからル・マン24時間に遠征。JSPC第4戦以降はマーチ・88Gに移行したが、WEC-JAPANでは88Gとの2台体制でチーム・ルマンから参戦している。
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