日本近海での捕獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:23 UTC 版)
大航海時代や産業革命以降の西洋では鯨油が主な利用目的で、遠く日本近海まで進出してきた列強諸国の捕鯨船は、船内で鯨油を絞る工夫をし「海の油工場」でもあった。アメリカでの統計では、セミクジラ種の油はマッコウクジラ種を超えて一番消費された。セミクジラ種は他種よりも一頭あたりの油の割合が高かったためによる。 日本の開国前の19世紀から、米国捕鯨団等の西洋型捕鯨が日本近海へ進出し本種の大量捕獲を行ったため、日本の漁獲高が著しく減少し、壱岐などの一部地域では沿岸にクジラが来なくなり鯨漁師がいなくなった。 しかし一方、外国捕鯨の介入以前の沿岸捕鯨の段階で、沿岸の個体群には大幅な減少が見られた可能性も指摘されている。欧米諸国がハワイ・小笠原諸島・釧路を結んだ三角形の海域「ジャパン・グラウンド」における主対象はマッコウクジラであったとされ、数値統計上セミクジラの狩猟は欧米による捕鯨よりも日本の沿岸捕鯨の方が重圧的で個体群への影響が遥かに大きかったという意見もある。 これは、当時の大手の鯨組の一つである「深澤組」が寛政時代初期に廃業したことや、特に西海地域での各藩による市場競争から係争にまで勃発し当時の幕府による調停が刊行されるまでに拡大したことからも確認できる。
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