日本共産党が民主集中制を維持することへの批判
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「民主集中制」の記事における「日本共産党が民主集中制を維持することへの批判」の解説
1975年12月に『文藝春秋』で始まった連載「日本共産党の研究」において、立花隆は暴力革命・プロレタリア独裁・民主集中制をレーニン主義の三位一体の原則だと指摘した。その上で、日本共産党は暴力革命を否定し、プロレタリア独裁の意味内容を換骨奪胎したが、民主集中制は捨てていないので体質は変わっていない、と主張した。また、民主集中制の背後には大衆に対する不信とエリート主義がある、という見解を示した。日本共産党はこれを「反共攻撃」と見なし、「民主集中制は、勤労大衆に責任を負う近代政党の不可欠のメルクマールである。党内派閥を認めず、三十数万の党員が一つの路線、方針にもとづいて多彩に積極的に活動している日本共産党は、もっとも近代的、合理的で、活力ある組織政党である」などと反論した。 1976年には藤井一行が雑誌『現代と思想』において「民主主義的中央集権制と思想の自由」を発表し、民主集中制の内容がレーニン時代とスターリン時代では大きく異なっていることを指摘した。藤井はとくに、レーニンの時代には分派が自由に形成されており、その上で「批判の自由と行動の統一」という原則が成立していたことを強調した。これに対しては日本共産党の側から不破哲三や榊利夫が反論し、「批判の自由と行動の統一」という原則はボリシェヴィキとメンシェヴィキが同じ党内で争っていた時代のものであり、レーニンの原則はむしろ1921年の分派禁止令に表れている、と主張した。 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件で知られ、個々の地方日本共産党員を支持する滝本太郎弁護士は2029年頃には「殆ど後期高齢者の政党」で消え去りそうなほどの日本共産党の衰退原因について、民主集中制だと1979年頃の40年前から言っている。2019年時点でも日本共産党の代表変更・政策変更が上意下達であり、ボトムアップでは一切行われず、突如上部からの命令となっていて党内の議論が外から見えず、国民からの信頼を得ていないからと指摘している。「そのまま政権を握れば、日本国自体がそうなるのではないか」と著しい不安を持たせているからであり、日本国民は日本共産党が「いつも一枚岩である」ことなぞ求めていないこと、議論ができない組織だと示してしまっていること、過去に除名された党員がいかに実績ある人でも酷く非難される状況を恐ろしさを感じると述べている。このままでは「民主集中制にこだわり、やがて後期高齢者の政党、そして消滅していくこと」は必定と指摘している。
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