日本の新興住宅地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 21:14 UTC 版)
日本では東京ならば23区でこんにち豪邸が立ち並ぶ千代田区番町と麹町の皇居周辺、港区の南青山、赤坂、麻布、白金台などや、街区として文京区ならば本駒込、西片などは、江戸時代には武家屋敷が多く立ち並んでいたのを、地主となった武家が住宅地開発を行った姿である。また明治期の全国各地の入植と、その後の沿線開発、関東大震災を契機とする郊外への移住が住宅地を供給する展開をみせる。東京であれば渋谷エリアの松濤、目黒区や品川区辺りに、また大阪では帝塚山や堺市東区の大美野田園都市に多いほか、兵庫県の神戸市御影東丹地区・住吉、西宮市七園、芦屋市六麓莊町、平田町松美浜などが西日本で最も有名な高級住宅街となり、豪邸が集中する。上記のエリアは阪急電鉄沿いにあり、阪神間モダニズム発祥の地でもある。 大正末期から昭和期の例では東京信託による新町住宅、田園都市株式会社の田園調布や成城、埼玉県の浦和などが新興住宅地として開発された。高度経済成長期以降、日本住宅公団、住宅供給公社などが次々に団地造成事業などで多くの住宅造成地を建設し住宅供給が行われ、既存の大都市周辺部への住宅開発が進んだ。集落の点在していた場所に路線が開通し宅地化が進んだ例としてはつくばエクスプレス沿線や東急線沿線の沿線開発、世田谷区などが顕著である。 これらを境に住宅地の観念が定着するとしており、戦後に開始される宅地造成や日本のニュータウンなどの住宅地供給が新興住宅地を形成したとしている。 もともと集落の無かった森林などを開拓する場合や、戦後は大規模なものなどはニュータウン(多摩ニュータウンなど)と呼ばれることが多い。おもに計画的に造成された2・3階建ての戸建て住戸が建ち並ぶ住宅地を指し、団地やマンションも広義の新興住宅地に含むことがある。
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