日本の新正統主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/04 10:14 UTC 版)
日本のエキュメニカル派の神学には、バルトの弁証法神学が強く影響を及ぼしており、植村正久の後継者である高倉徳太郎がその備えをしたとされる。高倉はバルト以前のバルトと呼ばれるピーター・フォーサイスの影響を受け、1924年に東京神学社でバルトとブルンナーを紹介した。バルトは世界像、人間観、歴史的、宗教的、神学的矛盾、文化的制約において、聖書が誤っていると主張した。 高倉徳太郎の神学は、バルト主義者の桑田秀延、熊野義孝、山本和が継承し、日本で発展した。戦後のプロテスタント神学は「バルトの刻印」を帯びていると評される。この系統を日本において代表する神学校は、日本基督教団の東京神学大学であり、桑田秀延、北森嘉蔵、竹森満佐一らを輩出している。
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