日本の方言政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 07:28 UTC 版)
明治時代以降、一個の政府のもとに統一された日本では、中央集権国家を目指したため、学校教育や軍の中で標準語の普及を押し進めた。1888年に設立された国語伝習所の趣旨には次のように論じられている。「国語は、国体を鞏固にするものなり、何となれば、国語は、邦語と共に存亡し、邦語と共に盛蓑するものなればなり」特に軍では、異なる地方の者同士では、方言の差異のために命令の取り違えすら発生しかねない有様であり、死活問題でもあった。このことから、方言および日本で話されていた他の言語を廃する政策がとられた。方言を話す者が劣等感を持たされたり、または差別されるようになり、それまで当たり前であった方言の使用がはばかられることになった。ただし、方言追放を徹底できたとは言い難く、軍・政府の重鎮でありながら終生南部弁が抜けなかった米内光政のような例もある。 現在ではテレビ・ラジオにおける標準語使用の影響などにより標準語が日本全国に浸透し、各地の方言は衰退や変容を余儀なくされた。各地のアクセントは多くの地域で保持されているが、語彙は世代を下るに従って失われやすいとされる。 そのため、文化庁などが消滅の危機にある言語・方言の保存・継承のための様々な取組を行っている。
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