日本における農業機械の発展と普及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:32 UTC 版)
「農業機械」の記事における「日本における農業機械の発展と普及」の解説
明治時代から大正時代にかけての農業機械の導入については、府県では米作関係の調整・加工用機械が中心となった。北海道ではこの時期から各種の畜力・人力を利用した欧米の農業機械が紹介され、プラウ、ハロー、カルチベーターなどのほか、牧草用機械が一部に普及していた。 動力を用いた農業機械については、大正年間に動力用石油エンジン・電気モーター等が導入されはじめたほか、1915年に北海道斜里町の農場にアメリカ・ホルト社製履帯トラクターが導入されたのがその始まりと言われている。また、耕耘機も1920年頃から輸入が開始され、岡山県では複数のメーカーにより自動耕耘機の国産化が図られた。 しかし、動力を用いた農業機械の導入が本格化するのは戦後になってからである。1953年の農業機械化促進法の制定や、1950年頃からのメリーティラーの導入がそれを後押しした。 トラクターは、戦後、耕耘機の普及の後を追う形で普及していった。1950年、農林省が3台のファーモール製のトラクターを輸入し、各地の農業試験場で試験を行ったのを皮切りに、1952年にはフォードソン、ランツ等のトラクターや、農業用トラクターとしても使用できる農業用ジープが輸入開始されている。 1960年11月に経済審議会が答申した国民所得倍増計画の下では、上昇する生活費を確保するために農業経営の規模拡大が唱導され、農業所得の増大が見込めない農家では兼業化が加速された。農業も産業として自立することが求められ、農業構造を改善して「自立経営農家」を育成し、大型機械を導入するための「協業の助長」が大きな政策目標となった。 1961年の農業基本法制定に続いて、1962年から農業構造改善事業が開始された。これは圃場整備、大型機械の導入利用、選択的拡大作目の導入をセットにして助成・融資するところに特徴があった。家計収支が上昇する中で農業経営を自立させるには面積規模の拡大、あるいは資本投下など集約度の増大が不可欠であった。 これらを受け、1960年代から1970年代にかけては、トラクターの普及に伴って各種作業機、コンバイン等の輸入が急増するとともに、それらの国産機も開発され、次第に農家に浸透していった。
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