日本における粉ミルクの歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:10 UTC 版)
「粉ミルク」の記事における「日本における粉ミルクの歴史」の解説
1917年、東京の和光堂薬局(後の和光堂)が加糖全脂粉乳の「キノミール」を製造。これが日本最初の(育児用)粉ミルクとされる。以後、各社でさまざまな粉ミルクが製造・販売されており、現代まで続くブランドもある。 1921年 - 日本練乳(現在の森永乳業)が「森永ドライミルク」を製造開始。 1922年頃 - 糧食研究会の鈴木梅太郎が育児用粉乳「パトローゲン」を開発。育児用としてオリザニン(ビタミンB1)を加えた。 1923年 - 東京菓子(現在の明治)が「パトローゲン」販売開始。1932年には製造権も譲渡される。 1941年、牛乳営業取締規則に「調整粉乳」の品質規格を設定した。ただし、実際に規格が普及し始めたのは、第二次世界大戦終結後の1950年代からと言われる。 1951年 - 雪印乳業(現在は雪印ビーンスターク)が「雪印ビタミルク」(後の「雪印ネオミルク」)を製造開始。 1951年 - 明治乳業、「ソフトカード明治コナミルク」発売。 1955年 - 粉ミルクにヒ素が混入される森永ヒ素ミルク中毒事件が起きた。 1959年 - 厚生省令に糖類等を加えて母乳組成に近づけた「特殊調製粉乳」の規格を追加。 1962年 - 日本ワイス(現在のアイクレオ)が「SMAミルク」を発売(製造は1989年まで中央製乳)。 1980年代からは母乳の成分分析結果をもとにして、各種微量成分が徐々に配合されるようになり、現在のようななるべく母乳に近い成分の製品が作られるようになった。
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