日本で知られるようになった経緯
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「スーホの白い馬」の記事における「日本で知られるようになった経緯」の解説
福音館書店編集長の松居直はアジアの昔話を子供に紹介するために同社の『母の友』に中国民話の翻訳を掲載していた大塚勇三に依頼してモンゴル民話を中国語から訳してもらい、大塚が見つけ出したのが馬頭琴の話だった。大塚による絵本には出典は示されておらず、2012年にミンガド・ボラグが大塚に取材した際にはそれについて彼はほとんど記憶になく、薄くはない普通の本だったとの証言から1958年に中国科学院文学研究所が出版した中国各民族民間文学業刊第一集『中国民間故事選』の「馬頭琴」が典拠だとみられる。また大塚と同じ雑誌で翻訳をしていた君島久子は『中国民間故事選』から民話を翻訳しているため本作も同じ典拠である可能性が高い。 日本語で初めて紹介された馬頭琴伝説は北京で発行された日本語雑誌『人民中国』1959年1月号だが、同誌は広く読まれた媒体ではなく、そのときの題名は『民話 馬頭琴の話』であり、主人公の名前が「スヘ」、馬頭琴を中国語読みの「マートウチン」と書かれているため、大塚が同誌を典拠としたとは考え難い。 『こどものとも』に掲載されたときには対象読者のことを考えて馬頭琴は登場していない。光村図書出版の小学校国語教科書「こくご 二・下」の1968年版に「白い馬」の題名で初掲載された。 赤羽末吉は満州国に住んでいた頃、仕事の関係で内モンゴルへ行き、暗雲、晴天、スコールといった天気の変化を一望できる雄大なスケールの草原に感銘を受け、いずれ蒙古題材の大作を書きたいと思ってスケッチを描いたり写真を持ち帰り、後年、絵本の仕事を始めると日本の子供に蒙古のことを知ってもらおうと松居に話し、幾度かの思案を経て大塚の馬頭琴の物語の原稿ができた。それを反映してか、『スーホの白い馬』には典拠にはないモンゴル草原の広大さが描かれている。
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