施行と混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:14 UTC 版)
外国人法は7月21日に発効し、外国人に対する居住・労働許可申請の期限は2年間へと延長された。1995年の法改定によってさらに申請期限は延長されたが、最終的に1996年7月12日を以て、旧ソ連パスポートは完全に外国人パスポートへと切り替えられると定められた。 パスワードの切り替え期限が迫るなか、1996年6月初頭には約33万5500人が居住許可申請に殺到したが、うち許可証が発給されたのは2万3470人に過ぎなかった。不安を募らせたロシア人はロシア国籍取得へと流れ、ロシア国籍者数は前年12月の8万2000人から1996年9月には11万5000人へと急増した(在エストニア・ロシア大使館(エストニア語版)発表)。ティート・ヴァヒ(英語版)首相は内務省(エストニア語版)と国籍・移民局 (et) を叱責して外国人パスポート発給を促した。しかし、結局は発給作業のパンクを理由に、7月12日以降も居住許可申請を受理し、旧ソ連パスポートの有効性を当分の間保証すると発表した。 外国人法施行に際するエストニア側の混乱にロシア側はまたも反発し、6月末にロシア外務省は、エストニア政府は一貫して非エストニア人の排除と単一民族国家の建設を企図している、との覚書を提出した。11月にはセルゲイ・ラヴロフ国連大使(英語版)が、エストニアとラトビアはロシア人の人権を蹂躙し、OSCEの勧告に従う意思も持っていない、とする報告書を人権委員会へと提出した(この時、ロシア側はエストニアのロシア人政策を「ビロードの国外追放」と形容した)。同月末にはゲンナジー・セレズニョフ下院議長が、エストニアへの経済制裁を求める文書をヴィクトル・チェルノムイルジン首相へと提出し、当時進行中であったエストニアとロシアの領有権問題解決プロセスも、ロシア外相エヴゲニー・プリマコフが態度を硬化させたことで暗礁に乗り上げるに至っている。
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