斎宮の起こりとは? わかりやすく解説

斎宮の起こり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 06:39 UTC 版)

斎宮」の記事における「斎宮の起こり」の解説

『日本書紀』崇神天皇によれば崇神天皇皇女豊鍬入姫命命じて宮中祭られていた天照大神大和国笠縫邑に祭らせたとあり、これが斎王斎宮)の始まりとされる。そして次の垂仁天皇時代、豊鍬入姫の姪にあたる皇女倭姫命各地巡行伊勢国辿りつき、そこに天照大神祭った。この時のことを『日本書紀』垂仁天皇紀は「斎宮(いはいのみや)を五十鈴川上に興(た)つ。是を磯宮いそのみや)と謂ふ」と記し、これが斎王忌み籠る宮、即ち後の斎宮御所原型であった推測される。また垂仁天皇紀は「天皇倭姫命以って御杖(みつえ)として、天照大神に貢奉(たてまつ)りたまふ」とも述べ以後斎王天皇代替わり毎に置かれ天照大神の「御杖代みつえしろ、神の意を受ける依代)」として伊勢神宮奉仕したという。ただし史料上は必ず置かれたかどうかは不明で、任期などもそれほど明確ではない。用明天皇朝を契機一時途絶えたが、天武天皇時代正式に制度として確立し(『扶桑略記』は天武天皇壬申の乱戦勝祈願の礼として伊勢神宮に自らの皇女大来皇女捧げたのが初代とする)、以後天皇代替わり毎に必ず新し斎王選ばれ南北朝時代まで続く制度となった。 なお、『扶桑略記』に初め大来皇女定められたとあること、同皇女前任伝え酢香手姫皇女用明天皇皇女)との間に約50年空白期間があること、その以前稚足姫皇女雄略天皇皇女)、荳角皇女継体天皇皇女)、磐隈皇女欽明天皇皇女)、菟道皇女敏達天皇皇女)、酢香手姫皇女伊勢来ていないと考えられること の3点から、酢香手姫以前斎宮後世虚構とする説がある(筑紫申真説)。 また福岡県糟屋郡久山町猪野にある天照皇大神宮には、仲哀天皇9年200年)、熊襲征伐途中、「われを祭れば、戦をせずとも財宝の国を得ることができる」という神の託宣があったが、仲哀天皇疑ったために、その祟りを受け香椎宮崩御そのこと知った神功皇后が、小山田斎宮を建て、自ら神主となり、天照大神祀ったという縁起がある。

※この「斎宮の起こり」の解説は、「斎宮」の解説の一部です。
「斎宮の起こり」を含む「斎宮」の記事については、「斎宮」の概要を参照ください。

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