文献記録
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Beken という名称は、早くも1036年に文献に登場する。マインヴェルク司教がパーダーボルンのブスドルフ修道院にヘング、ブロックフーゼン、エリネーレ、アセルンの分農場を含む Bekena 荘園の十分の一税区を寄進した。主農場には、アムト・ベーケンの管理官が置かれた。その後、この荘園から Beken村が発展した。 13世紀初めに、シトー会のハルデハウゼン修道院の修道士とアルテンベーケンおよびシュランゲンの住民達との間で紛争が起こり、両村は破門された。両村の住民がドルハイムのハルデハウゼン修道院の荘園において放牧地や森林の木の実を共同利用することで合意したため、1211年にパーダーボルン司教ベルンハルト3世がこの破門を撤回した。この文書に Aldebekene から 7人の立会人が記名されている。これがアルテンベーケンの最も古い記載である。
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文献記録
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金富軾による『三国史記』(1145年完成)に最初にチャンギに関する記載が現われる。『三国史記』によれば、百済の蓋鹵王と僧の道琳が囲碁を打ったことが書かれている中で、蓋鹵王が「博奕」、すなわち囲碁と将棋を楽しんだという言葉が出てくる。しかし、この「博奕」は、今日の将棋を言うのではなく、単に様々なボードゲームを指す用語である可能性が高い。 また徐居正(朝鮮語版)による『筆苑雑記(朝鮮語版)』には、朝鮮王世宗の重臣金石亭と金禮蒙が象戯対局をしたと記載されている。『世祖実録(朝鮮語版)』にもまた、象戯という名称で、将棋にまつわる話が紹介される。中宗王の時代の文臣沈守慶(朝鮮語版)による『遣閑雑録』に初めて「將棋」という言葉が出てくる。 將棋用車包馬象士卒。以木磨造。而刻字塡彩。... 皆是消日之戲也。 この他にも宣祖王の時代の張維(朝鮮語版)による『谿谷集』第3巻雑著76数「象戱志」では、将棋の定義と将棋盤の路、駒の役割、駒の場所、駒の動き、勝敗と理論について詳述されている。 記録に残っているチャンギの名手としては、『識小録』に伝わる金剛山白田庵の智巖大師や、『於于野譚(朝鮮語版)』に紹介された西川令が特に有名である。
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