文榮座の時代
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1927年(昭和2年)、滋賀県栗太郡草津町大字大路井537番地(現在の同県草津市大路1丁目4番30号)に文榮座として開館した。同館は、1924年(大正13年)に芝居小屋から映画館に転換した大正座(草津町二丁目、経営・鈴木八重三郎)に次ぐ、草津での2館目の映画館である。開館当初の経営者、興行系統、観客定員数等は不明である。同館の立地した大字大路井字栄町は、東海道本線の駅であり草津線の起点である草津駅の南、「天井川」として知られた草津川沿いに位置し、東に官庁街や旧東海道沿いの商店街、同館のすぐ隣には1925年(大正14年)に開業したばかりの「草津温泉」(2016年6月29日閉店)があった。大路井地区は草津宿跡であり、大正座のあった草津本町(現在の草津市草津)とは、1886年(明治19年)につくられた草津川トンネルでつながっていた。 同館についての詳細が記述されている同時代資料は、1942年(昭和17年)に発行された『映画年鑑 昭和十七年版』であり、同書によれば、当時の同館の経営者は田所由松、観客定員数は752名である。同年の日本では、第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、すべての映画が同年2月1日に設立された社団法人映画配給社の配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同書には同館の興行系統については記述がない。 戦後は、1948年(昭和23年)8月、角正太郎(1899年 - 1987年)に経営が変わり、同館は新たに設立された。角正太郎は、野洲郡守山町大字吉身(現在の守山市吉身)の大黒座を入手して、守山映画劇場として1953年(昭和28年)12月に新たに設立、その後、1956年(昭和31年)には、大正座を入手して草津映画劇場と改称するとともに、文榮座のある大路井町に新たに草津第二映画劇場(のちの草津シネマハウス)を開館している。1954年(昭和29年)10月15日には、同町は市制を施行して草津市になったが、市内の映画館は3館になった。角正太郎は、1958年(昭和33年)11月2日には、伊藤武郎の独立映画に協力して、東京に映画の製作会社として大東興業を設立、同社において『キクとイサム』(1959年)、『武器なき斗い』(1960年)の2作をしている。
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