文榮座の時代とは? わかりやすく解説

文榮座の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 15:21 UTC 版)

草津グリーン劇場」の記事における「文榮座の時代」の解説

1927年昭和2年)、滋賀県栗太郡草津町大字大路井537番地現在の同県草津市大路1丁目4番30号)に文榮座として開館した。同館は、1924年大正13年)に芝居小屋から映画館転換した大正座草津町二丁目経営鈴木八重三郎)に次ぐ、草津での2館目の映画館である。開館当初経営者興行系統観客定員数等不明である。同館の立地した大字大路井栄町は、東海道本線の駅であり草津線起点である草津駅の南、「天井川」として知られ草津川沿いに位置し、東に官庁街旧東海道沿いの商店街、同館のすぐ隣には1925年大正14年)に開業したばかりの「草津温泉」(2016年6月29日閉店)があった。大路井地区草津宿跡であり、大正座のあった草津本町現在の草津市草津)とは、1886年明治19年)につくられ草津川トンネルつながっていた。 同館についての詳細記述されている同時代資料は、1942年昭和17年)に発行された『映画年鑑 昭和十七年版』であり、同書によれば当時の同館の経営者田所観客定員数は752名である。同年日本では第二次世界大戦による戦時統制敷かれすべての映画同年2月1日設立され社団法人映画配給社配給になり、すべての映画館紅系白系2系統組み入れられるが、同書には同館の興行系統については記述がない。 戦後は、1948年昭和23年8月角正太郎1899年 - 1987年)に経営変わり、同館は新たに設立された。角正太郎は、野洲郡守山町大字吉身現在の守山市吉身)の大黒座入手して守山映画劇場として1953年昭和28年12月新たに設立その後1956年昭和31年)には、大正座入手して草津映画劇場改称するとともに文榮座のある大路井町新たに草津第二映画劇場(のちの草津シネマハウス)を開館している。1954年昭和29年10月15日には、同町は市制施行し草津市になったが、市内映画館は3館になった角正太郎は、1958年昭和33年11月2日には、伊藤武郎独立映画協力して東京映画の製作会社として大東興業設立同社において『キクとイサム』(1959年)、『武器なき斗い』(1960年)の2作をしている。

※この「文榮座の時代」の解説は、「草津グリーン劇場」の解説の一部です。
「文榮座の時代」を含む「草津グリーン劇場」の記事については、「草津グリーン劇場」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「文榮座の時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文榮座の時代」の関連用語

文榮座の時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文榮座の時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの草津グリーン劇場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS