教派の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 16:23 UTC 版)
「キリスト教諸教派の一覧」も参照 キリスト教は現代において多くの教派に分かれている。これを歴史的にみると、教義上の違いから325年に異端とされたアリウス派などを別にすれば、まずは正教会に代表される東方キリスト教と、カトリック教会に代表される西方キリスト教に大きく分けられる。これは古代にキリスト教を国教としたローマ帝国が395年に東と西の2つの帝国に分離したことなどにその端を発する。東方では451年のカルケドン公会議を画期として正統とされた教会から異端とされた教会が分離した。分離した教会は東方諸教会と呼ばれる。カルケドン公会議で正統とされた教会においては東西でその教義に関して聖霊の発出という神学上の問題などが原因となって中世に東方と西方のキリスト教会の亀裂が深まり、1054年に分裂した。その後1204年に第4回十字軍が東方キリスト教の中心地コンスタンティノープルを攻撃して占領・略奪し分裂が決定的になった。これ以降、東方の教会は正教会、西方の教会はカトリック教会となった。 西方では1077年のカノッサの屈辱として知られる事件に象徴されるようにカトリック教会やその首長である教皇が宗教上のみならず俗権においても国家や王を上回る権力を有するようになった。カトリック教会はその後堕落や腐敗が問題にされるようになる。カトリック教会を批判したフスはカトリック教会から異端とされて1415年に火刑に処された。16世紀になり、1517年のルターの九十五か条の提題をきっかけとして始まった宗教改革によって西方においてはプロテスタントの教会が誕生した。イギリスではイングランド王ヘンリー8世(在位:1509年 - 1547年)が自身の離婚問題をきっかけにしてイギリスの教会をカトリック教会から分離してイングランド国教会とした。イングランド国教会の系統の教会は日本などでは聖公会と称する。その後プロテスタントの教会は分裂・分離を重ねて多くの様々な教派が現れた。すなわちルーテル教会、改革派教会、会衆派教会、メソジスト教会、バプテスト教会、アナバプテスト、ペンテコステ派、セブンスデー・アドベンチストなどである。
※この「教派の概要」の解説は、「キリスト教」の解説の一部です。
「教派の概要」を含む「キリスト教」の記事については、「キリスト教」の概要を参照ください。
- 教派の概要のページへのリンク