政治家との交流
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殆どのカルト宗教の教祖とは異なり、ジョーンズは公的な補助を得ることが出来ると共に、地方レベルどころか国家レベルの重要人物に面会することが出来たのである。例えば、1976年アメリカ合衆国大統領選挙の数日前に、ジョーンズとモスコーニは私的にアメリカ合衆国副大統領候補者のウォルター・モンデールにキャンペーン用の飛行機で面会しており、モンデールは人民寺院を公的に賞賛している。ファーストレディ・ロザリン・カーターもまたジョーンズと私的に何度も面会している。その際には、キューバの事案について意見交換をしたり、サンフランシスコ本部のグランドオープン時にジョーンズと会話を交わしている。ここでジョーンズは、ロザリン・カーター以上の歓声を浴びている。 1977年9月、カリフォルニア州下院議員のウィリー・ブラウン(英語版)は、ジョーンズを広く賞賛する晩餐会で司会を務めた。出席者にはカリフォルニア州知事のジェリー・ブラウンと副知事のマーヴィン・M・ダイマリー(英語版)もいた。この晩餐会において、ブラウンはジョーンズに「朝起きて鏡を見たとき、貴方には何が見えているのですか...マーティン・ルーサー・キング・ジュニアとアンジェラ・デイヴィス、アルベルト・アインシュタイン、毛主席の組み合わせですか」と褒めちぎったという。人民寺院で開かれた政治集会でたびたび演説を行ったハーヴェイ・ミルクは、ある集会の後、次のように手紙に記している。「聖職者ジム、私はこの昂揚感から戻ってくるのに多大な時間が必要かもしれません。私は貴重なものを見つけました。戦いに費やした時間とエネルギーの全てを補って余りある、実存の感覚を見つけました。私は、貴方が私に見つけてほしいと思っているものを見つけたのです。私は戻ってくるでしょう。私は永遠に離れることなどできません」 ジョーンズはデイヴィスのような地域の政治家をサンフランシスコのアパートメントに迎えて議論を交わした。彼は、友人であったサンフランシスコ・サン=レポーターの発行人カールトン・グッドレットに対して、中華人民共和国やソビエト連邦といった社会主義国家へと旅行することが出来ない事への後悔を話し、ソビエト連邦では酪農長官になれるかもしれないという推測を語った。ジョーンズが非難を浴びせたことでネーション・オブ・イスラムとの緊張が高まった後、ロサンゼルス・コンベンション・センターで行われた大規模な集会でジョーンズは演説を行った。この集会は、二つのグループの間の亀裂を修復するために開催され、多くのジョーンズに近しい政治家たちが参加していた。
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