政府における解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 07:35 UTC 版)
「日本国憲法第9条」の記事における「政府における解釈」の解説
政府見解は憲法9条第1項では自衛戦争は放棄されていないが、第2項の戦力不保持と交戦権の否認の結果として全ての戦争が放棄されているとする立場をとりつつ、交戦権を伴う自衛戦争と自衛権に基づく自衛行動とは異なる概念であるとし、このうち自衛権に基づく自衛行動について憲法上許容されているとの解釈をとるに至っている。 1946年9月、金森徳次郎国務大臣「第二項は、武力は持つことを禁止して居りますけれども、武力以外の方法に依つて或程度防衞して損害の限度を少くすると云ふ餘地は殘つて居ると思ひます、でありますから、今御尋になりました所は事の情勢に依つて考へなければならぬのでありまして、どうせ戰爭は是は出來ませぬ、第一項に於きましては自衞戰爭を必ずしも禁止して居りませぬ、が今御示になりましたやうに第二項になつて自衞戰爭を行ふべき力を全然奪はれて居りますからして、其の形は出來ませぬ、併し各人が自己を保全すると云ふことは固より可能なことと思ひますから、戰爭以外の方法でのみ防衞する、其の他は御説の通りです」(1946年(昭和21年)9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における高柳賢三議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁) 「第一項では自衞戰爭は出來ることになつて居ります、第二項では出來なくなる、斯う云ふ風に申しました、第九條の第一項では自衞戰爭が出來ないと云ふ規定を含んで居りませぬ、處が第二項へ行きまして自衞戰爭たると何たるとを問はず、戰力は之を持つていけない、又何か事を仕出かしても交戰權は之を認めない、さうすると自衞の目的を以て始めましても交戰權は認められないのですから、本當の戰爭にはなりませぬ、だから結果から言ふと、今一項には入らないが、二項の結果として自衞戰爭はやれないと云ふことになります」(1946年9月13日、貴族院帝国憲法改正案特別委員会における大河内輝耕議員に対する金森徳次郎国務大臣の答弁) 1953年8月、下田武三外務省条約局長「国家の自衛権を憲法は禁止しておりませんから、自衛行動はとれると思います。ところが自衛のための戦争となりますと、これは別のことでございまして、戦争であれば敵の領土まで行って爆撃してもいいわけであります。ところがそれは自衛行動とは別であって、交戦権が認められて初めて敵の領土奥深く入って敵の首都を爆撃するという権利が発生するわけであります。そういう交戦権というものは認めていないのでありますから、国際法上の戦争と関連して初めて認められる権利は私は行使し得ない、戦争に至らざる自衛行動ならなし得る、そう考えております。」(1953年(昭和28年)8月5日、衆議院外務委員会における下田武三外務省条約局長の答弁)
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