擲弾兵の復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 21:04 UTC 版)
19世紀中頃から銃砲の技術革新が進むと、それまで防御戦の主役だった城塞の存在価値は完全に失われた。 だがピクリン酸などの高性能爆薬を詰めた榴弾が砲から発射されるようになった19世紀後半になると、大砲を攻城兵器のみならず、対歩兵用の防御兵器としても使えるようになった。それと同時期の機関銃や鉄条網の実用化によって、野戦の仮設防衛設備だった塹壕が十分な防御力を持つ事になり、脚光を浴びるようになった。これにより塹壕陣地がボーア戦争で出現し、日露戦争から第一次世界大戦初期にかけて各国軍に導入されるようになり、双方が塹壕陣地を構築して睨み合ったまま戦線が膠着する塹壕戦の時代が到来する。 19世紀末にはダイナマイトが発明される。ニトログリセリンを用いており、従来の黒色火薬の擲弾に比べて遥かに威力で勝った。擲弾として敵の塹壕に投げ込んだり、あるいは敵塹壕陣地を破壊する目的で用いられた。 さらに第一次世界大戦は、戦車や毒ガスといった幾多の新兵器を生み出したが、手榴弾もそのうちの1つであり、現代に至るまで歩兵の主装備の1つとなっている。ダイナマイトも含めてそれ以前の擲弾が導火線に着火するという煩雑さがあったのに対して、遅延信管を用いた手榴弾は兵器としての使い勝手が良かった。こうして2世紀近い空白を経て、擲弾の投擲が兵士達の主要な戦闘手段として復活する事になった。 1915年に英軍が採用したミルズ型手榴弾。現代手榴弾の原型となった。 ミルズ型手榴弾の内部構造。撃針用スプリングや雷管・導火線が見える。 手榴弾用撃発装置の一例。安全栓(15)を抜いてレバー(16)を放すとボルト(14)が外れ、解放された撃鉄(6)が雷管(13)を叩き、雷管からの火焔が導火線(10)を点火する。
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