擲弾兵部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:20 UTC 版)
17世紀頃の擲弾は黒色火薬が充填された球状の爆弾(漫画などによく描かれる原始的な形状)で、導火線に着火させてから投擲するため、危険な任務でもあり、黒色火薬の爆発力は弱く殺傷効果は限定されたものだった。また、擲弾兵は人力で投擲して届く距離まで敵陣に接近しなければならず、戦列歩兵方式による銃隊の運用が確立されると、接近する前に擲弾兵は射殺されてしまうようになった。 そのため、擲弾は次第に使用されなくなったが、勇敢で体格に優れた兵士を集めた擲弾兵中隊は、歩兵連隊の精鋭中隊として戦術上重要な局面に投入され続けた。また、複数の連隊の擲弾兵中隊を集めて擲弾兵大隊を編成し、精鋭大隊として運用されることもあった。 部隊としての擲弾兵中隊は、19世紀中頃まで歩兵連隊に置かれていたが、次第に名誉称号となっていった。 17世紀末のブランデンブルク歩兵連隊擲弾兵。 フリードリヒ大王の兵士達。右から二番目が擲弾兵。 プロイセンの擲弾兵帽。 1745年、プロイセン擲弾兵の突撃。 1809年のリューベック軍兵士。左から砲兵、歩兵、擲弾兵、火工兵。 ナポレオン軍の擲弾兵(左)背の低い兵士が選ばれた選抜歩兵(右)との背丈の違いを表している。 19世紀末イギリスのグレナディアガーズ。1815年擲弾兵の称号が与えられ、連隊の全兵士に擲弾兵帽の着用が許された。1831年からは全近衛兵が擲弾兵帽を着用するようになる。 イギリス東インド会社のインド人傭兵部隊(セポイ)。将校(中央)、戦列歩兵(左)、擲弾兵(右)
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