撤回後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:15 UTC 版)
9月19日、藤本貴之が、日本グラフィックデザイナー協会(会長は審査委員でもあった浅葉克己)からのJAGDA会員宛送信メールの内容を公表。協会側はコンペの参加資格の決定に関与しておらず、エンブレムの修正は審査委員会ではなく組織委員会が行ったものだと主張。また、審査の過程へのコメントも組織委員会側が止めていたと言及。藤本は「高度に専門的で、ピンポイントな参加条件」などは、修正で佐野とやりとりをしていた「第三の専門家」が行ったのではないかと主張した。 9月28日、大会組織委の記者会見において、公募発表前に永井一正審査委員長から特定のデザイナーに招待参加を促したいとの意向を受けて、電通より出向の槙英俊担当局長の判断により、8名の国内デザイナーに対して永井と組織委員会クリエイティブディレクターの高崎卓馬(電通)の名前で参加要請文書が送付されたこと、結果的にその招待作家のうちの佐野を含む3名が入選したこと、この参加要請と審査結果の関係については調査を継続する必要があることなどが公表された。 10月5日、審査で次点だった原研哉が参加者の立場からの意見として毎日新聞紙上に寄稿。 10月10日、審査委員の一人が自身ブログにおいて、佐野修正案拒否の理由や組織委担当者の佐野修正案「ごり押し」の実態などの公表を開始。 10月16日、新しいエンブレム選考のための募集要領が発表される。 10月29日、旧エンブレム問題の外部有識者による調査チームの第一回の会合が始まる。メンバーは元東京地検検事の和田衛ら4名で、11月までに調査を終え結果は年内に公表予定。 11月2日、原研哉が次点作を自社サイトで公開。
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