撤廃への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 04:33 UTC 版)
1990年代、DFWの年間発着便数が逼迫する状況となり、1996年にはライト修正法を撤廃し、フォートワース・アライアンス空港に旅客便を発着させることで、DFWの混雑緩和につなげようという研究もされた。しかし、この案はどちらもDFWに反対され、結局は前述の通り、アラバマ州、ミシシッピ州、およびカンザス州がライト修正法に追加されただけであった。 2004年後半に、サウスウエスト航空は、ライト修正法に反対することを表明した上で、大規模なライト修正法撤廃のキャンペーンを開始、公的支援を集める動きを見せた。キャンペーンでは、出版物・インターネット・掲示板・テレビCMをフルに駆使し、サウスウエスト航空でも「Set Love Free」という特設サイトを設置した。これに対して、DFWとアメリカン航空などが先頭に立ち、ライト修正法の撤廃反対の集団を結成、「Keep DFW Strong」という特設サイトを設置した上でメディアキャンペーンを開始した。DFWでは北側にある水タンクの1つを塗り替えて広告とした。 撤廃に賛成する識者は、「ラブフィールド空港からの長距離路線の制限は、公正な競争を妨げる」と断言した。識者たちは、ラブフィールド空港からの目的地を自由に設定することを求め、現在の制限がDFW発着路線の運賃を意識的に引き上げていると主張した。この制限を撤廃し、どの航空会社でも自由にラブフィールド空港から路線開設がされることで、いわゆる「サウスウエスト効果」が発生すると見込んでいた。ラブフィールド空港発着路線が低価格になることで、DFW発着路線の運賃引き下げも行なわれ、どちらの空港も需要は増加すると仮定していた。これらは、他の空港市場において、低運賃航空会社であるサウスウエスト航空が何度となく実現していたのである。また、DFWの主な利用会社はアメリカン航空であり、発着便の80パーセント以上がアメリカン航空という状態ではほとんど競争がない状態で、デルタ航空がハブ空港としての運用をやめた問題などを見れば、DFWはアメリカン航空に高額の請求も出来ると主張した。 一方、ライト修正法の支持者からは、アメリカン航空の運賃が他の地域よりも高いことは認めたものの、DFWが周辺地区の経済の中心でもあり、DFWの発着便を競合している空港に移したり、価格の引き下げなどが行なわれることは好ましくないと主張した。DFWでは25億ドルを投じてターミナル間の旅客輸送システムを整備したばかりであった上、このような旅客輸送システムと、デルタ航空の撤退によって財政負担は増加しているため、このような状況下でDFWにとっての競合相手の出現は、空港の収益性や存続についても影響があると考えられた。DFW周辺地区での関心は、テキサス州北部ではアメリカン航空が最大の雇用主となっていることで、サウスウエスト航空を除く航空各社の財政事情が悪化しているこの時期に、アメリカン航空をわざわざ危機的な状況に置くことは避けたかったのである。
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