控訴審判決と「糾弾権」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:21 UTC 版)
「八鹿高校事件」の記事における「控訴審判決と「糾弾権」」の解説
大阪高裁における刑事裁判の控訴審は以下のとおり判示した。 「今日なお部落差別の実態には極めて深刻かつ重大なものがあるにもかかわらず、差別事象に対する法的規制若しくは救済の制度は、現行法上必ずしも十分であるとはいいがたい。そのため、従来から、差別事象があった場合に、被差別者が法的手段に訴えることなく、糾弾ということで、自ら直接或いは集団による支援のもとに、差別者にその見解の説明と自己批判とを求めるという手法が、かなり一般的に行われてきたところである。この糾弾は、もとより実定法上認められた権利ではないが、憲法14条の平等の原理を実質的に実効あらしめる一種の自救行為として是認できる余地があるし、また、それは、差別に対する人間として堪えがたい情念から発するものであるだけに、かなりの厳しさを帯有することも許されるものと考える」 これをもって裁判所が「糾弾権」を認めたと喧伝する向きもあるが、判決はさらに 「しかし、そこには自ずと一定の限度があるのであって、個々の糾弾行為につきその違法性の有無を検討するに当たっては、当該行為の動機・目的のほか、手段・方法等の具体的状況、更には、これによって侵害された被害法益との比較など諸般の事情を考慮し、法秩序全体の見地から見て許容されるかどうかを判断すべきものである。そして、右の見地から見て許容されないものについては、刑法上それが正当行為に当たるとも、また可罰的違法性を欠くともいえないのである」 と続いており、結論としては本事件における糾弾行為の法的根拠を否定する内容となっている。 神戸地裁豊岡支部における民事裁判でも、1990年3月28日に「被告ら主張の糾弾権なるものは実定法上何ら根拠のないもの」と認定された(裁判長裁判官・白井博文、右陪席裁判官・栃木力、左陪席裁判官・浅見健次郎)。 法務省もまた「本判決は、一般的・包括的に、糾弾行為を自救行為として是認したものではないことに留意しなければならない」「本判決は、前記のとおり、「糾弾する権利」を認めたものではないから、もとより「糾弾を受けるべき義務」を認めたものでもない」と解説している。 「確認・糾弾」および「確認・糾弾に対する法務省の通知」も参照
※この「控訴審判決と「糾弾権」」の解説は、「八鹿高校事件」の解説の一部です。
「控訴審判決と「糾弾権」」を含む「八鹿高校事件」の記事については、「八鹿高校事件」の概要を参照ください。
- 控訴審判決と「糾弾権」のページへのリンク