拡張と第一次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:05 UTC 版)
「ガバナーズ島」の記事における「拡張と第一次世界大戦」の解説
1880年代後半から1890年代にかけて陸軍はこの島の拡張計画に着手した。米国陸軍長官のエリフ・ルートが、この島が大隊を丸ごと収容するのに十分な広さになるよう、島の拡張を計画した。ニューヨーク市地下鉄の最初の路線から発掘された材料を使用し、陸軍工兵隊が366万m3の盛土を追加してガバナーズ島を南に拡張した。作業の大部分は1909-1910年までに完了し、1913年1月までに完工が宣言された。同事業が終了した際、島は103エーカー拡張されて総面積172エーカー(0.70km2)になった。 またルート長官は、ボザール様式の建築家チャールズ・フォレン・マッキムの力を借りて、ガバナーズ島にあるほぼ全ての建造物を再設計するなど島の地形計画を作成した。マッキムは1902年と1907年に、古い建物を全て解体して建物を対称的に配置していく計画を提示したが、これらの計画は一切実行されなかった。さらにルートは1904年に、コロンバス砦の名称を昔のジェイ砦に戻した。1907年に昔の礼拝堂が聖コルネリウス・センチュリオン礼拝堂に改築された。 新たに造成されたガバナーズ島の南部は当初、滑走路として使用されていた。1909年10月の世界初となる水上飛行で、ウィルバー・ライトはガバナーズ島からマンハッタンの西側を飛行してそれから島へと戻ってきた。翌年、グレン・カーチスはこの島に着陸することでオールバニ (ニューヨーク州)からニューヨーク市への飛行を成し遂げた。1916年から1917年までは航空訓練センターも運営されていた。これらの飛行士に敬意を表して、1954年に初期航空士 (Early Birds of Aviation) の記念碑がリゲット・ホールに捧げられた。 島の拡張がされたとはいえ直後は殆ど発展しなかったが、第一次世界大戦中に重要な建設が行われた。アメリカ議会がドイツに宣戦布告した数分後にガバナーズ島の部隊がニューヨーク港でドイツ船を拿捕したことで、この島は一次大戦における最初(1917年4月6日)の明白な米国軍事行動の場所として言及されることがある。 兵舎、テント、仮設の木造建築物が当初の島の北部に建設され、新しい南部区画には倉庫やその他補給施設が収容され、合計7,500万ドル相当の資材が保管された。建造物は全て、多数の入換え用引込線で構成される13kmのガバナーズ島鉄道で接続されていた。同鉄道は1.5マイル(2.4 km)に縮小され、1931年に解体されるまで「世界で最も短い鉄道」と呼ばれていた。
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