招致失敗の理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 09:19 UTC 版)
「大阪オリンピック構想」の記事における「招致失敗の理由」の解説
しかし、大阪市は治安面やインフラストラクチャー面で評価を得たものの、危機的ともいえる大阪市の財政状況、環境破壊および会場アクセスの諸問題などから、市民の中には五輪招致に反対する動きもあり、支持率は5割と低かった。また、2001年5月に現地を視察審査した国際オリンピック委員会 (IOC) のバスが何度も渋滞に巻き込まれるといった交通状況の悪さや、招致委員会による説明不足が露呈。 現地視察においてこれらの問題点が噴出したことから、評価報告書で他の立候補都市(パリ・北京・トロント・イスタンブール)と比べて全体的に低い評価となり、「大阪での五輪開催は困難ではないか」という事実上の落選確定とも取れる「推薦辞退の勧告」を促そうとしたこともあった。 現地視察から評価報告書に至るまで、大阪は散々ともいえる評価が響き、同年7月に行われたIOCモスクワ総会では、1回目の投票で最下位となり落選(6票)し、2008年開催地は2回目の投票で56票を獲得した中国の北京(北京五輪)に決定した。 落選後、『大阪に投票したのに残念だ』と言う慰めのメッセージを送った国が、得票数を上回る6ヶ国以上となる珍事が起きた。 招致活動は大阪市の主導で行われ、JOCへの支援要請や民間の人脈活用を図るなどの工夫がされず、お役所仕事と批判された。 開催決定記念のポスターも製作されていたが、落選したため使われなくなった。
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