招致失敗の原因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 04:35 UTC 版)
「横浜オリンピック構想」の記事における「招致失敗の原因」の解説
北関東まで会場が分散する超広域開催(最遠は選手村から142 km離れた今市市丸山公園〔栃木県今市市、現・日光市〕)に対しての不安が払拭できなかった。JOC立候補資料検討委員会による1997年6月の現地調査の時点で「広域開催なんてだれも支持しない。最初から勝負はついている。」と語る委員がおり、委員長の八木祐四郎も「難しい提案」とコメントしていた。会場として浮上した市町村の多くが、本気で招致活動に取り組まなかったこともマイナスに働いた。 「金を使わないオリンピック」を招致段階でも徹底した結果、招致費用で大阪市に大差を付けられた(横浜市は1.6億円、大阪市は18億円)。 2002 FIFAワールドカップ開催が決定した直後の横浜市では、市役所の招致活動主導権が強すぎたことも重なり、市民の関心を引きつけきれず、財界などの民間団体まで広く組織化した大阪とは好対照となった。招致を目指す市民組織も役所主導で結成されたが、一般市民の認知度は低く、既存の市民組織との連携も取れていなかった。高秀市長は、招致をめぐる横浜市民と大阪市民の盛り上がりを「ベイスターズとタイガースのファンの差のようなもの」と語った。
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