手術までの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 18:48 UTC 版)
彼の病気はヒトパピローマウイルス(HPV)が原因でできる小さな疣が原因であり、疣贅状表皮発育異常症によって子供の頃に負った傷が原因でできた疣の成長を止めることができなかった。下記のアンソニー・ガスパリが疣を切り取り検査したところ、彼の遺伝子には非常にまれな欠陥が認められた。通常は疣はできても治るものの彼の場合免疫力がなく、自己免疫システムを狂わせ、皮膚細胞に侵入したウイルスに対し、その奇妙な物質を細胞内に作り上げろといった誤った指令を出していることをつきとめた。 1993年に地元の病院に入院、治療しようとした事もあるが結局、原因も治療方法も見つからなかった。その後村の資金を集め疣を全て切除するも、その後は疣が顔、手、体と全身に広がり、手足に至っては指の位置が確認できないほどにまで悪化していった。 しかし2007年12月に疣に関する肺炎にかかったことをきっかけとし、インドネシアの医師ならびにメリーランド大学のアメリカの皮膚科学の専門家アンソニー・ガスパリが治療に取り組んだ結果、2008年8月26日には体の瘤のうちの95%である5.8キログラムにも及ぶ瘤を摘出することに成功。なお、巨大化し大きな塊になっている疣の部分は電動鋸で切除、全身にできた小さな100個以上の疣は一個一個切り取り、その出血した部分を縫合するという方法で手術は行われた。また、頭部にできたイボは深めに切る必要があり、もし傷口から感染したら、敗血症の危険があるためなるべく出血を防ぐため、電気止血装置が使用された。 摘出後は顔の疣はほぼなくなり、手も背中の皮膚移植を通し本来の人間らしい手指を取り戻したことで、手術前は不可能だった「手で鉛筆を掴み字を書く」という行為が出来るようになったが、2009年末頃までには疣状の皮膚が再度成長し、彼の腕は再び木のようになってしまったという。 2009年7月放送の7月7日の『キミハブレイク』では壮絶な人生、7月19日の『金スマ』では、手術の様子がそれぞれ特集放送され反響を呼んだ。 2016年1月30日にインドネシア、バドゥン県のHasan Sadikin病院で死ぬ3ヵ月前に病院に入院し、多機能不全により亡くなったことが報じられた。 2017年現在、東南アジアに彼同様の症例を持つ患者が4人おり、現在この症例は樹木男(ツリーマン)症候群とも呼ばれるようになっている。
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