扇屋 (百貨店)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/15 16:20 UTC 版)
|
|
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2024年5月)
|
株式会社扇屋(おおぎや)は、かつて千葉県千葉市に本社を置き、百貨店と総合スーパーチェーンを展開していた日本の企業である。1976年8月21日に株式会社ジャスコ(現:株式会社イオン)と連携合併し、扇屋ジャスコ(おおぎやジャスコ)が誕生。扇屋会長であった安田栄司がジャスコ本社取締役会長に(1978年退任)、扇屋社長であった安田敬一はジャスコ本社取締役に、扇屋ジャスコ社長には安田博亮が就任した。その後、扇屋ジャスコは1999年8月21日付で株式会社ジャスコ本体と合併し、株式会社イオンに引き継がれた。(安田栄司 1979, p. 177)。
本項では、扇屋ジャスコについても記述する。
沿革
扇屋(愛称かぎも)[1]
1933年(昭和8年)3月28日、安田栄司により創業。千葉県千葉市吾妻町に「扇屋モスリン店」と屋号を掲げ、呉服屋としてスタートした。
1948年(昭和23年)2月11日、法人化し株式会社扇屋を設立。戦後婦人の洋装化が急速に進み、呉服のみならず、洋装も扱うようになった。大型店として繁盛し[3]、1952年(昭和27年)に大宮店、三鷹店を開店してチェーン展開を始めた[3]。
1957年(昭和32年)11月1日、三百五十坪という、当時の総合衣料店としては異例の広さの新店舗をオープン。「正直な店」そして「同じ品なら必ず安い」をモットーに、大きく売り上げを伸ばした。(貴島操子 1977, p. 92)
1959年(昭和34年)1月、通産大臣より百貨店営業許可を得る。このタイミングで米国やヨーロッパの大型商業施設の視察を行い、扇屋百貨店構想の足がかりとした。(貴島操子 1977, p. 94)
1959年(昭和34年)10月14日、千葉市の本店を扇屋百貨店として百貨店を開業。[2]「誠実親和」を社訓とし、売場拡張を重ねて順調に成長した。(安田栄司 1979, p. 157)。
1959年(昭和34年)11月、安田栄司が会長となり、長男である安田敬一が28歳の若さで社長に就任(安田栄司 1979, p. 158)。
1965年(昭和40年)に売場面積9,859m2で30億円を売り上げて千葉県で第2位の百貨店となり[4]、ライバルの奈良屋(売場面積9,903m2売上高35億円)と激しい競争を繰り広げた。
1969年(昭和44年)に16店舗のチェーンストアを構築[3]。同10月には、中堅規模の集結による資本力の増強を視野に伊藤雅俊(イトーヨーカ堂)、綿引敬栄(伊勢甚)、野口貞一(藤五)、岡田吉朗(岡田屋(川崎))、カネ長武田、忠実屋、尾張屋の七社による共同仕入機構「ナルサ株式会社」を設立し会長に就任[3]。「ナルサ」は、そのものの実績は上がったが、表面的な連携にとどまり、同志的な合同には至らなかった。(安田栄司 1979, p. 171-172)。
1971年(昭和46年)、千葉駅前に進出した千葉そごうに対抗するため、松坂屋と業務提携してアパレル関連の強化[3]を図った。
1975年(昭和50年)に松坂屋との提携を解消[3]。扇屋百貨店、扇屋チェーン、安田不動産の三社が合併し、流通グループを形成。百貨店と総合スーパーを合計22店展開し、売上高280億円を上げ、成長を遂げる中、他ビッグストアとの合同・合併によるさらなる規模拡大を目指した。ここで、古くから交際のあった岡田卓也(ジャスコ)より、合併の話しが持ち上がる。当時首都圏進出が進んでいなかったジャスコにとって、関東進出を図る上で規模・信用・人材のいずれも扇屋が合併相手として理想的であった。同年の冬、安田栄司、安田敬一、岡田卓也の3人は、パレスホテル東京で合意文書を交わした。岡田が出した条件は以下のとおりであった。『一、ジャスコと扇屋は一対一の合併をする。一、同時に100%出資の扇屋ジャスコを設立し、扇屋の地盤、従業員を継承する。一、合併に伴う人事として、ジャスコ取締役会長に安田栄司、ジャスコ取締役に安田敬一、扇屋ジャスコ社長に安田博亮が就任する。』業績が順調な中での提携合併は大きく報じられたが、中央集権の方式をとらず、地域の自主性を重んじながら全体の活性化を図る連邦制経営という岡田卓也の構想に安田栄司・敬一が深く共感し合意に至ったものである。(イオン創業250年プロジェクトチーム 2008, p. 208)(安田栄司 1979, p. 174-176)。
1976年(昭和51年)8月21日、ジャスコと扇屋百貨店は正式に提携合併を表明し、その店舗網は扇屋ジャスコに引き継がれた。
扇屋ジャスコ
扇屋ジャスコに引き継がれたこの21店の店舗網[5]は、5年間で11店舗をスクラップし、6店舗を新設。当時では珍しいスクラップ&ビルド戦略は、連携合併ならではの合理的変革であり、これにより売り上げや収益は大きく伸びた。
1992年(平成4年)10月18日に、千葉中央駅付近に存在した扇屋ジャスコ千葉店(旧扇屋百貨店)は閉店し、その跡地は千葉県により買収され、現在はQiball(きぼーる)として再開発されている。その後、扇屋ジャスコとして最大の店舗はマリンピア店(千葉市美浜区高洲3-13-2)となり、現在もイオンマリンピア店として営業が続いている。
1999年(平成11年)扇屋ジャスコは、総合スーパー・ジャスコ15店舗と食品スーパーのマックスバリュ4店舗[6]で、総資産は約642億円(純資産は約77億円)[6]まで拡大。同年8月21日に扇屋ジャスコは、ジャスコ本社に合併され[1][6]、66年間親しまれた扇屋(愛称かぎも)[1]の名称は、その役割を終えることとなった。
扇屋ジャスコの店舗
|
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 (2024年5月)
|
イオンに転換して営業中の店舗
特記のない限り、「〇〇店」表記は通常の「イオン」、「〇〇店」表記がない店舗は派生業態の「イオンスタイル」として営業。
- 臼井店(佐倉市) - レイクピアウスイの核店舗
- 大網白里店(大網白里市) - 1992年6月25日に開店したアミリィ大網白里ショッピングセンターの核店舗
- 鎌取(千葉市緑区) - 1994年(平成6年)3月18日に開店したJR鎌取駅前のゆみーる鎌取ショッピングセンターの核店舗[7]
- 鴨川店(鴨川市) - 1992年(平成4年)11月27日に開店した安房鴨川駅前のフローレ鴨川ショッピングセンターの核店舗[8]
- 高根木戸店(船橋市) - イオン高根木戸店の核店舗
- 東金店(東金市) - 1978年11月10日に開店した東金ショッピングセンター サンピアの核店舗
- ノア店(野田市中根36-1)[9][10] - 1989年(平成元年)に開店したショッピングセンター ノア (NOA) の核店舗[11]
- 富津店(富津市) - イオンモール富津の核店舗
- マリンピア店(千葉市美浜区高洲3-13-2)[12][13] - 1984年(昭和59年)4月に開店した京葉線稲毛海岸駅前のイオンマリンピアショッピングセンター[14]の核店舗[15]
- 八街店(八街市) - グリーンタウンやちまたの核店舗(衣料品・雑貨のみ)。1998年11月開店[16]。2010年にマックスバリュ八街店だった食品売場もジャスコに統一される。
- 休業中の店舗
- 茂原店(茂原市六ツ野字高師野2799-4) - 1978年(昭和53年)開店[17]。ただし、2017年(平成29年)3月からは1階のみの営業。2018年12月2日をもって閉店[18]、2024年に建て替えて「イオンスタイル茂原」に転換する見込み[19]となっていたが2024年4月現在、新店舗建設予定地はまだ更地のままで、経営母体であるイオンリテール から「イオンスタイル茂原」の再オープンに関する公式な見解が出されていない。[20]
マックスバリュに転換して営業中の店舗
- 辰巳台店(市原市辰巳台東1-2)[21] - マックスバリュ関東1号店として1996年(平成8年)11月14日に開店[22]。グリーンタウンたつみ台ショッピングセンター(現:イオンタウンたつみ台[23])の核店舗
- 太田店(木更津市太田4-18) - 1997年(平成9年)11月7日に開店[24]。現名称は「マックスバリュ木更津太田店」[25](秋田県大仙市にマックスバリュ太田店が存在するため[26])
マックスバリュに転換後に閉店した店舗
- (初代)マックスバリュ新船橋店(船橋市) - 1997年(平成9年)11月28日に開店[27]。→2011年(平成23年)2月20日に閉店。
扇屋ジャスコの店舗
かつての扇屋ジャスコの店舗については、以下の項目を参照。
CM
脚注
- ^ a b c d “ジャスコグループ再編で「扇屋」称号姿消す 日本食糧新聞”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1999年8月25日)[要ページ番号]
- ^ a b “インタビューページ安田敬一さん 太田務さん”. 月刊いちかわ 2010年8月号 (エピック) (2010-8).[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g 李敬泉. “ジャスコの出店戦略の原型”. 大阪市立大学 経営研究 第55巻第1号 (大阪市立大学) (2002).[要ページ番号]
- ^ デパート新聞社編『全国百貨店年鑑 昭和42年版』デパート新聞社、1967年。[要ページ番号]
- ^ “扇屋ジャスコ、マックスバリュー業態年間5-6店ペースで展開”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年11月27日)[要ページ番号]
- ^ a b c 株式会社ジャスコ 2000年2月期中間決算短信 (Report). ジャスコ. 2007.[要ページ番号]
- ^ “扇屋ジャスコ、18日JR鎌取駅前に「鎌取店」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年3月11日)
- ^ “扇屋ジャスコ、27日「フローレ鴨川」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年11月16日)
- ^ イオンノア店 イオンリテール
- ^ イオンノア店 専門店街 イオンリテール
- ^ 財団法人千葉県史料研究財団 『県史シリーズ 37 千葉県の歴史 別編 地誌 2 地域誌』 千葉県、1999年3月25日。
- ^ イオンマリンピア店 イオンリテール
- ^ “扇屋ジャスコ、「マリンピア店」全面改装 食品売場は千葉市内最大”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年3月10日)
- ^ イオンマリンピアショッピングセンター イオンリテール
- ^ 大友達也 (2007年10月). “《研究展望》あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?”. 社会科学 79号 (同志社大学 人文科学研究所)
- ^ 「扇屋ジャスコ『グリーンタウンやちまた』開店、初の『マックスバリュー+GMS』」日本食糧新聞、1998年(平成10年)11月23日付
- ^ 新名阿津子・原田典子・田上健一・小林達也 『茂原市における中心商店街活性化への課題』 地域研究年報 第28号 (筑波大学人文地理学・地誌学研究会) (2006年3月)
- ^ 閉店のごあいさつ イオン茂原店、2018年11月26日、2024年5月22日閲覧。
- ^ “イオン茂原店建て替え 開業40年、12月から一時休業”. 千葉日報. 千葉日報. 2023年7月4日閲覧。
- ^ “茂原そごう閉店とイオンスタイル茂原の開業遅延”. 2025年9月9日閲覧。
- ^ [マックスバリュ辰巳台店] マックスバリュ関東
- ^ “扇屋ジャスコ、関東初のマックスバリューSSMを市原に開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年11月18日)
- ^ イオンタウンたつみ台 イオンタウン
- ^ “扇屋ジャスコ、マックスバリュー2号店「太田店」開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月5日)
- ^ マックスバリュ木更津太田店 マックスバリュ関東
- ^ マックスバリュ太田店 イオン東北
- ^ “11月28日開店、扇屋ジャスコMV「新船橋店」 都市型店舗(マックスバリュー)実験店に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年12月10日)
参考文献
- 安田栄司『誠実親和』慶昌堂印刷、1979年5月15日。
- 貴島操子『ジャスコ急成長の秘密』上毛印刷、1977年5月1日。
- 千葉県史料研究財団編『千葉県の歴史 通史編 近現代 2』千葉県、2006年。[要ページ番号]
- イオン創業250年プロジェクトチーム『すべてはお客さまのために』博報堂、2008年11月18日。
関連項目
- 扇屋_(百貨店)のページへのリンク