戦術的展開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:39 UTC 版)
モーガンはカウペンスの特徴ある地形を使えば、タールトンが到着するまでの時間を利点に変えられると考えた。さらにモーガンは自隊と敵の部隊がある状況下に置かれればどのように反応するかを知り抜いており、この知識をも利点にした。初めにやったことは、それまでの戦闘の常識から外れた部隊の配置であった。モーガンは自隊をブロード川とパコレット川の間に置いた。この場合、もし敵が圧倒してきた場合に逃げ道が無くなることになる。モーガンが逃げ道をなくした理由は明らかであった。訓練を積んでいない民兵は、戦闘の最初の兆しに直面してそれまでだったら簡単に逃げ出して正規兵を捨てて行くだろうが、この状況ではそうならないことを確実にするためであった。丘の上をモーガンが指揮する場所として、そこには大陸軍の正規歩兵隊を配置し、意図時に側面は敵の攻撃に対して無防備にしておいた。モーガンはタールトンが正面から攻撃をかけてくるものとして、それに合うような戦術的な準備をした。モーガンは部隊を3列に分け、1列は狙撃兵、1列は民兵、1列を主力部隊とした。150名の選ばれた狙撃兵隊はノースカロライナのマクドウェル少佐の部隊とジョージアのカニンガム少佐の部隊であった。この部隊の後ろにアンドリュー・ピケンズの指揮で300名の民兵を配置した。 訓練の足りない民兵は戦闘の場面、特に騎兵からの攻撃に対しては頼りにならないことを認識していたので、モーガンは民兵達に2発だけ銃を放てば後退してよいとしていた。そうしておけば、より経験を積んだ民兵と大陸軍正規兵の第3列のさらに後ろにいる予備隊(ウィリアム・ワシントンとジェイムズ・マッコール指揮の騎馬隊)の陰で隊列を組みなおすことが可能になると考えた。第2列の民兵の移動は第3列をイギリス軍に曝すことになる。第3列は全軍の残り約550名で、デラウェアとメリーランドの大陸軍正規兵、およびジョージアとバージニアの民兵で構成されていた。ジョン・E・ハワード大佐が大陸軍を、テイト大佐とトリップレット大佐が民兵の指揮を執っていた。この戦略の目的は、おそらく丘の上りで第3列と遭遇するタールトンの部隊を戦闘前に弱らせ混乱させ、最後に叩くことであった。ハワードの兵士は民兵の予測される移動によっても動揺することがなく、民兵とは違って持ち堪えることができる。そのためには、第1列と第2列が肉体的にも心理的にも前進するイギリス軍兵士を消耗させ、そこで第3列と戦闘に入る必要があるとモーガンは考えた。 さらにモーガンは、自隊を下り坂に配置して上ってくるイギリス軍に向かわせれば、イギリス軍が戦闘中に空高く鉄砲を放つ傾向があることも有効に使おうとした。自隊を下り坂に置くことは、向かってくる敵を朝日を背に受けさせてその姿を浮かび上がらせることになり、容易に標的とすることができる。自隊の右手は峡谷であり、左手にはクリーク(小川)があるということは、モーガンの部隊が戦闘開始の時点から側面攻撃を受ける可能性を低くしていた。モーガンは、「全体の考え方はベニー(タールトン)を罠に入れて、坂を上がってくる騎兵隊と歩兵隊を叩くことができるということだ。銃撃で数を減らせば、彼らに反撃できる」と主張した。カウペンスでこの戦術を展開したことについて、歴史家のジョン・ブキャナンは、モーガンが「独立戦争の両軍で、意味のある独創的な戦術を考えられる唯一の将軍で」あったかもしれない、と記した。
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