戦後・戦犯調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 09:38 UTC 版)
1945年8月15日の玉音放送の後、ワイルドは136部隊(英語版)のカナダ陸軍ボブ・スチュアート中佐らと合流、同年9月6日にチャンギーからグッドウッド・パーク・ホテルに置かれた東南アジア最高司令部情報支隊の前線本部に移り、戦争犯罪調査局Eグループに勤務して、復員前の連合軍捕虜・民間人抑留者および日本軍捕虜・関係者から戦争犯罪に関する証言・伝聞を聴取、自ら容疑者の逮捕・尋問にあたって重大事件約50件について証拠をまとめた。 1945年10月には、米軍マニラ裁判の公判前の山下奉文・元第25軍司令官に対して聴取調査を行っている。 1945年12月、英国に帰国、オックスフォードのボアズ・ヒル(英語版)にあるセリア夫人の実家で過ごす。帰英後間もなくロンドンの戦争犯罪対策本部からマラヤでの任務継続の要請を受ける。 1946年2月、セリア夫人を帯同してシンガポールに帰任。大佐に昇級し、マラヤ・シンガポールにおける戦争犯罪連絡将校としてシンガポール・ペナン・クアラルンプールの3つの戦争犯罪調査チームを指揮。泰緬鉄道建設F隊事件について自ら証拠をまとめる。 ワイルドは170人余の戦犯容疑者を逮捕してシンガポール法廷に送致し、このうち5件の審理では自ら証人となって法廷で証言した。
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