戦前昭和期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 14:19 UTC 版)
昭和に入ると、文部省の後押しを受けた大日本連合婦人会、大阪で結成され陸軍の後押しを受けた大日本国防婦人会が結成される。特に国防婦人会は、割烹着にたすきがけの目立つ服装で出征兵士の見送りに立つなど、出征・帰還兵士の世話に手厚い下流婦人層の団体であった。いっぽう愛国婦人会は会費が高く、上流婦人のサロンというべき場で、基本は金品贈与主義であった。この二団体による会員獲得合戦は熱を帯び、後ろ盾である陸軍省と内務省の対立の延長とも解された。双方に加入する会員も少なからずあり、統合の声があがったものの、感情的対立は拭いがたいものがあった。 1941年(昭和16年)6月、政府は閣議で連合婦人会を含めた三者の統合を決定。1942年(昭和17年)には、全ての婦人会が大日本婦人会に統合されたが、割烹着にたすきがけの見送りなど、各婦人会の特色は失われていった。3年後には国民義勇隊の結成とともに大日本婦人会は解散となった。
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