成立時期と作者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 08:25 UTC 版)
成立時期は1187年以後と考えられる。原本は現存しない。最古の写本は1790年代はじめ頃にアレクセイ・ムーシン=プーシュキン伯爵が発見し、1800年に初刊本が公刊されたが、1812年にナポレオンの侵入によって起きたモスクワ大火において失われた。作者は不明であり、遠征に参加したか、どんな身分の人物で、どの都市の出身か(ノヴゴロド・セーヴェルスキイ、スヴャトスラフのいたキエフ、イーゴリの舅ヤロスラフのいたハーリチなどが候補とされる)について、結論は出ていない。 なお、作者として具体的な名が挙げられている人物としては、キエフ大公スヴャトスラフの妻であり、ポロツク出身のマリヤ・ヴァシリコヴナが作者ではないかという仮説がある。その根拠として、『イーゴリ遠征物語』と『聖女イェフロシニア伝』(ru)(ポロツク公国出身のイェフロシニアに関する伝記。マリアはイェフロシニアの姪にあたる。)が共にルーシ諸公の闘争を憂う物語であること、『イーゴリ遠征物語』におけるポロツクに関する内容は、キエフ大公家とポロツク公家の微妙な関係を示唆しており、それはポロツクの事情に精通したものでなければ書けないであろうこと、『イーゴリ遠征物語』が女性の文体で書かれていること等が挙げられている。 作品では民俗的・非キリスト教的な描写が多く、スラヴ人の神々が賛美される場面が見られる。作者は故郷である祖国ルーシへの愛国心を謳い、外敵であるポロヴェツ人に対しルーシ諸公の同盟の必要性を唱えている。研究史上では、中世時代の東欧文学の傑作とされるが、写本が少ないことから後代の偽作ではないかという意見もでたことがある(なお、この「イーゴリ偽作説」は現在では反駁しつくされている)。多数の言語に訳され、後世のウクライナ文学、ロシア文学などに大きな影響を与えた。
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