成立期のエリドゥ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 02:42 UTC 版)
グウェンドリン・レイク(Gwendolyn Leick)によれば、エリドゥ市は、もともとは3つの異なる生活様式をもった集団が相互に交流し、合流することによって形成されていったという。 それら集団の第一のものは、農村集落であり、起源は最も古い。これらの集落は北方からきたサーマッラー文化に由来する灌漑農業が基盤になっていると考えられる。彼らは運河を建設し、日干し煉瓦による建築を行った。第二のものは、ペルシア湾沿岸の漁労・狩猟文化の集団である。これら集団の存在は、海岸沿いに貝塚が広く分布していることに裏付けられている。彼らは葦の小屋に居住していたとみられる。第三のものは、羊・山羊を放牧していた遊牧民の一群であり、エリドゥの建設に貢献した。彼らは半砂漠地域にテントを張って居住していた。これら3つの集団は、エリドゥ市建設の最初期において、相互に交流関係が見られた。また、市の郊外においては、導水設備を伴った小さな窪地の中に日干し煉瓦で建設された大寺院を中心に、上記三者とは別に宗教的な集団が拠点を持っていた。
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