成立時期とあて先の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 18:06 UTC 版)
「ガラテヤの信徒への手紙」の記事における「成立時期とあて先の問題」の解説
『ガラテヤ書』の成立時期とあて先については二つの有力な説がある。第一は北ガラテヤ説で、この書簡が『使徒書』18:23に書かれたパウロの第二回ガラテヤ訪問の直後に書かれたというものである。『ガラテヤ書』2:1-10に書かれたパウロのエルサレム訪問(使徒書15章の記事と対応)から考えれば成立は使徒会議の直後ということになるだろう。さらに『ガラテヤ書』と『ローマの信徒への手紙』の共通点を考慮すると、両書は同時期(おそらく紀元57年か58年の冬)、パウロのコリントス滞在中(『使徒書』20:2-3)にかかれたものということになる。どちらも同じ思想を中心としながら、『ガラテヤ書』は当地の共同体の要請にこたえる形で急いで書かれたもので、『ローマ書』はもっと計画的に体系的に書かれたとみることができる。 一方の南ガラテヤ説はパウロがエルサレムの使徒会議の直前あるいは直後、おそらくはエルサレムに向かう途上で書いたのではないかと考える。パウロはエルサレム訪問後に戻ったタルソスにおいて、もしくは南ガラテヤを尋ねた第一回宣教旅行の間に自分が創設した共同体に向けて手紙をかいていたとしている。
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