成田ハネダとは? わかりやすく解説

成田ハネダ(なりたはねだ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:28 UTC 版)

パスピエ (バンド)」の記事における「成田ハネダ(なりたはねだ)」の解説

キーボード担当。全楽曲作曲を手がけ、「真昼の夜」「SYNTHESIZE」などでは作詞担当、「素顔」「メーデー」「音の鳴る方へ」などでは大胡田と詞を共作している。またライブおよび一部音源ではコーラス担当しているほか、「脳内戦争」の音源ではギター担当、「(dis)communication」「まだら」「SYNTHESIZE」「Q.」などではリズムパートのプログラミング担当するなど、パスピエ楽曲制作ライブにおいてその才能多彩に発揮している。 神奈川県横浜市出身横浜市立桜丘高等学校東京藝術大学卒業身長166cm。8月22日生まれ芸名は、パスピエとして活動開始した頃に出入りしていたライブハウス下北沢GARAGE”の当時店長命名したもの。 大学在籍時にはクラシック音楽学んでおり、ピアニスト志していた。しかし、大学1年目の冬にCOUNTDOWN JAPANを観に行ったことを契機バンド音楽傾倒芸術大学卒業生としては珍しい、ポップ・ミュージック世界飛び込むことを決意したメジャーデビュー目指し当初ポップスに近づこうとして挫折繰り返していたという。のちに、自分自身ルーツである印象主義音楽ポップロック織り交ぜる、というコンセプト立て、それをもとにパスピエ結成した。 「ポップスにおけるモスト・フェイバリット・アーティスト」として矢野顕子挙げている。また、ニューオーダースクリッティ・ポリッティフェニックスといった海外ニュー・ウェイヴや、邦楽ではピチカート・ファイヴイエロー・マジック・オーケストラから影響受けている。バンド始め契機となったフジファブリック楽曲では「虹」繰り返し聴いていた。 推理小説愛読する父親影響で、家にあった東野圭吾西村京太郎読んでいた。作品として好きなのは村上春樹キーボーディストとして、いきものがかりの「いつだって僕らは」「ハルウタ」、LiSAハウル」、ポルノグラフィティメジャー」、ヒトリエ「YUBIKIRI」などの楽曲にもレコーディングにも参加している。

※この「成田ハネダ(なりたはねだ)」の解説は、「パスピエ (バンド)」の解説の一部です。
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