成田ハネダ(なりたはねだ)
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「パスピエ (バンド)」の記事における「成田ハネダ(なりたはねだ)」の解説
キーボード担当。全楽曲で作曲を手がけ、「真昼の夜」「SYNTHESIZE」などでは作詞を担当、「素顔」「メーデー」「音の鳴る方へ」などでは大胡田と詞を共作している。またライブおよび一部音源ではコーラスを担当しているほか、「脳内戦争」の音源ではギターも担当、「(dis)communication」「まだら」「SYNTHESIZE」「Q.」などではリズムパートのプログラミングも担当するなど、パスピエの楽曲制作やライブにおいてその才能を多彩に発揮している。 神奈川県横浜市出身。横浜市立桜丘高等学校、東京藝術大学卒業。身長166cm。8月22日生まれ。 芸名は、パスピエとして活動開始した頃に出入りしていたライブハウス“下北沢GARAGE”の当時の店長が命名したもの。 大学在籍時にはクラシック音楽を学んでおり、ピアニストを志していた。しかし、大学1年目の冬にCOUNTDOWN JAPANを観に行ったことを契機にバンド音楽へ傾倒。芸術大学卒業生としては珍しい、ポップ・ミュージックの世界に飛び込むことを決意した。メジャーデビューを目指し、当初はポップスに近づこうとして挫折を繰り返していたという。のちに、自分自身のルーツである印象主義音楽にポップやロックを織り交ぜる、というコンセプトを立て、それをもとにパスピエを結成した。 「ポップスにおけるモスト・フェイバリット・アーティスト」として矢野顕子を挙げている。また、ニューオーダー、スクリッティ・ポリッティ、フェニックスといった海外のニュー・ウェイヴや、邦楽ではピチカート・ファイヴ、イエロー・マジック・オーケストラから影響を受けている。バンドを始める契機となったフジファブリックの楽曲では「虹」を繰り返し聴いていた。 推理小説を愛読する。父親の影響で、家にあった東野圭吾や西村京太郎を読んでいた。作品として好きなのは村上春樹。 キーボーディストとして、いきものがかりの「いつだって僕らは」「ハルウタ」、LiSA「ハウル」、ポルノグラフィティ「メジャー」、ヒトリエ「YUBIKIRI」などの楽曲にもレコーディングにも参加している。
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