憧れの蛇に覚えてもらいけり
作 者 |
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季 語 |
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季 節 |
夏 |
出 典 |
「quatre」 |
前 書 |
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評 言 |
蛇が嫌いで夏の間は野山へ近づかぬ人がいる。かと思えば林道に縮こまっている蝮を焼酎づけにしようと手を伸ばしたら、掴みどころを少し(本当に少し)間違えて指を噛まれた知人もいる。そのまま車を運転して病院へ駆け込んだそうだ。この場合、蛇側の正当防衛が認められるだろう。手を出す方が悪い。 蛇には常に妖しさが付き纏う。平面、つまり二次元を流れ這いながら鎌首は三次元をうかがい、細い舌の先で人の気配を敏感に察知しながら無視し、自らの生き餌を探す。南米あたりでは、人そのものを食料にしてしまう凄いのもいると聞く。 しかし、この句には偏見がない。大らかな愛情すら感じられる。なにせ心を童のようにして憧れているのだから。 覚えてもらう為には、何度かの遭遇が必要だ。偶然見かけた山野の蛇ではなかろう。一つの風景が浮かぶ。それは動物園の蛇の檻の前に腕を組んで佇んでいる青年の姿である。必要以外は動かず、鳴き声も持たず、まるで深い思索に耽る哲学者のような蛇の存在感に彼は今日も満足している。 想像をもう少し展げると、彼自身も弱い性格ではなく、充分な生きがいを覚えながら生活を送っている。ただ、時折ここに来て檻の主を眺めていたくなるのだ。 言葉を交すことは無理でも、人が人以外の動物を友とするのは不可能ではない。犬がそう、猫もそうだ。 ぼちぼち帰ろうと思った時に、蛇がゆっくりこちらを向いた。 「お前、よく来るな」。 <写真:青木三明> |
評 者 |
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備 考 |
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