悲劇のルーアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 05:09 UTC 版)
「ホンダ・RA302」の記事における「悲劇のルーアン」の解説
こうして、ホンダの2台のF1マシンは北フランス・ルーアンの近郊、公道を利用し起伏に富んだルーアン・レゼサールで、それぞれプラクティスを開始した。シュレッサーのRA302のカーナンバーは18だった。シュレッサーは英語を解さず、セットアップには通訳を必要としたため、中村はオーバーヒートが決定的なため徐行すること、など要点だけアドバイスした。シュレッサーはスポーツカーレースで実績のあるベテランだったが、F1の経験は無いに等しく、中村に「F1に出走できるだけで喜びであり、無理はしない」と伝えた。マシンは東京での発表時と比べ、エンジンの大型エアダクトが外され、ノーズのエアインテーク拡大、左右のオイルタンク大型化など若干の変更を受けていたが、マシンの素性が改善されるわけもなく、シュレッサーはスピンを繰り返した。予選では、まともに走行できなかったビック・エルフォード(クーパー・BRM-V12)よりは速く、16番グリッドを得た。 7月7日、天候が悪化する中スタートが切られた決勝で、シュレッサーのRA302は2ラップ目には2位走行していたサーティースのRA301に15秒遅れと、決して無理をせず後方に着けていた。しかし、3ラップ目にメインストレート先の下りS字コーナーでコントロールを失い、まっすぐ土手にクラッシュ。仰向けでコース脇に落ちると、満載した燃料とマグネシウムを多用したボディが激しく炎上し、シュレッサーは帰らぬ人となった。事故原因として濡れた路面でのドライビングミス、マシントラブルなどが挙げられたが、真相は不明である。レースは継続され、このとき消火剤をゴーグルに浴びたサーティースはピットストップを強いられるなど、トラブルにも関わらず2位フィニッシュを果たした。
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