悲劇のミュンヘン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/22 08:27 UTC 版)
イリノイ州立大学在学中にオールアメリカンに選ばれるなど優秀なバスケットボール選手だったポール・ダグラス・コリンズは、ミュンヘンオリンピックにアメリカ代表として出場した。1936年のオリンピック競技正式採用以来、男子バスケットボールの金メダルを逃したことがなかったアメリカ代表だったが、ミュンヘン大会でついにその威信が揺らぐことになる。この年の代表は例年に比べ後にプロの世界で勇名を轟かせるような選手は少なかったが、それでも予選リーグ、決勝トーナメントとも全く危なげなく勝ち抜き、決勝でソ連との対戦を迎えた。この試合でアメリカ代表は初めて接戦を演じ、試合は残り10秒を切ってアメリカが48-49と1点ビハインドを背負わさる絶体絶命の危機に陥っていた。しかしコリンズがソ連のパスを見事にスティールし、そのままワンマン速攻に走った。レイアップは外れたものの、ソ連選手からファウルを引き出し、フリースローを貰ったコリンズは2本とも決めて、アメリカは50-49で逆転を果たした。残り3秒から逆転を狙うソ連の攻撃は残り1秒の時点で、コート内に観衆がなだれ込んだとして、審判により中断された。オフィシャル席からは残り3秒に戻して再開との指示が発せられ場内にもアナウンスがされた。試合が再開され、ソ連のシュートが外れたのを見て、安堵のため息を漏らし、そしてアメリカの金メダルを祝った。しかし、オフィシャル席からアメリカ代表への冷水が飛んだ。審判と計時係のミスから、実際には時計は残り3秒に戻されず、再開後1秒で試合終了のブザーがなったとし、今のプレイも無効にして再び残り3秒から試合を再開せよと命じたのである。そして試合は再開され、ソ連ゴール下からの超ロングパスはアメリカゴール下のアレクサンドル・ベロフに渡りブザーがなる前にシュートを決めた。今度は何処からも物言いの声は掛からず、ソ連の初金メダルと、アメリカの初銀メダルが決まった。コリンズにとっては苦い苦い銀メダル獲得となった。この決定を不服としたアメリカ代表は表彰式をボイコットした。また、アメリカは銀メダルの受け取りを拒否し、それは今もミュンヘン市役所の金庫に眠っている。
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