念西の本名とその系譜とは? わかりやすく解説

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念西の本名とその系譜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:44 UTC 版)

常陸入道念西」の記事における「念西の本名とその系譜」の解説

一般に、念西は山蔭流待賢門院非蔵人藤原光隆息子ある朝宗(母は源為義の娘という)に比定され、朝宗曽祖父である常陸介実宗の代に伊佐若しくは中村称したと言われる。『伊達正統世次考』や『寛政重修諸家譜』では念西を伊達氏初代朝宗であるとし、念西の次男・為重は後の2代当主宗村比定される。 ところが、伊達氏古い記録文書では宗村伊達氏初代当主とするのが多く見られることから、古く新井白石『藩翰譜』で念西の本名宗村という説を出し近代では松浦丹次郎が『伊達氏誕生』で同様の見解を採っている。なお、朝宗と念西=宗村との関係では親子とする系譜の他、従兄弟とする系譜見受けられる(『会津史』(巻之二第三篇伊達氏の項) 。 いずれも、念西の本名宗村という説でも山蔭流藤原朝宗出自求める点では一緒である。しかし、『尊卑分脈』では藤原実宗伊佐中村号したという記述見出されず、また朝宗から伊達氏発生したという系譜見出すことが出来ない同じく清和源氏の項でも為義の娘が光隆に嫁いだと言う記事見出せない)。これらのことから、太田亮は念西の系譜常陸大掾一族伊佐為賢の末裔とする説を出している。 最近では、宝賀寿男初期伊達氏系譜文書称号及び頼と朝の字の類似から、念西、朝宗宗村は皆同一人物であるという説を展開している。また、その系譜を『新編常陸国誌』を基に、伊佐実宗-中村秀宗-助宗-念西とし、念西と言われ朝宗山蔭流藤原朝宗別人とであるとし、本来の系譜毛野氏求めている。『吾妻鑑』に見出せる、伊佐行政朝政は念西の弟という。 念西を朝宗とする文献研究者等 『伊達正統世次考』『寛政重修諸家譜』『永禄伊達系図』『福島県史』『福島市史』『仙台藩実録』 「当午山満勝寺比丘知恩の文」 伊達宗家当主仙台藩斎藤竹堂 念西を宗村とする文献研究者等 『寛永諸家譜』『南豫史』『伊佐本系図』『駿河伊達文書』『藤氏飯田系譜『藩翰譜』伊達氏誕生』『会津史』『百家系図稿』『諸系譜』『伊達政宗研究』 「中村城中村神社伝承」(『伊達氏中村八幡宮』) 新井白石太田亮鈴木真年松浦丹次郎小林清治 念西を為宗とする文献研究者等 『伊達家系図』(長男の名前も為宗となっている為、誤記可能性あり) 念西と朝宗宗村同一人物とする文献研究者宝賀寿男

※この「念西の本名とその系譜」の解説は、「常陸入道念西」の解説の一部です。
「念西の本名とその系譜」を含む「常陸入道念西」の記事については、「常陸入道念西」の概要を参照ください。

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