心身合一の問題とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 心身合一の問題の意味・解説 

心身合一の問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 09:52 UTC 版)

ルネ・デカルト」の記事における「心身合一の問題」の解説

1643年5月公女エリーザベトからの書簡において、デカルトは、自身の哲学において実在的に区別される心(精神と体延長)が、どのようにして相互作用起こしうるのか、という質問を受ける。この質問は、心身厳格な区別説くデカルト対する、本質的な核心をついた質問であった。それに対してデカルトは、心身合一次元があることを認める。この書簡の後もデカルト薄幸な公女悩み悲しみに対して助言をしたり、公刊され書物の中では見せなかった率直な意見述べたりと、書簡やり取り続けその間情念どのように生じどうすれば統御できるのか、というエリーザベト問い答え著作取り組んだ。それは1649年の『情念論』として結実することになる。 『情念論』において、デカルト人間精神身体とが分かち難く結びついている存在として捉えた。喉が痛いのは体が不調だからである。「痛い」という内部感覚意識の中での出来事であり、外在としての身体結びつくことは本来ないはずである。しかし、現実問題としてそれは常識である。デカルトはこの事実妥協し、これらを繋ぐ結び目は脳の奥の松果腺において顕著であり、その腺を精神が動かす(能動)、もしくは動物精気 (esprits animaux) と呼ばれる血液希薄化したものによって動かされる受動)ことによって、精神身体相互作用起こす、と考えた。そして、ただ生理学的説明だけに留まらず基本的な情念を「驚き」「愛」「憎しみ」「欲望」「喜び」「悲しみ」の6つ分類した後、自由意志善用による「高邁」の心の獲得説いたデカルトが(能動としての精神と(受動としての身体との間に相互作用認めたことと、一方で精神身体の区別立てていることは、論理の上で、矛盾犯している。後の合理主義哲学者スピノザライプニッツ)らはこの二元論難点理論的に克服することを試みた1645年11月3日エリーザベトへのデカルト書簡見てみると、デカルト自身の哲学二元性あくまでも実践的実際的問題として捉えていたことが窺われるデカルトはその書簡において、自由意志と神の無限性が論理的に両立しないことを認めながら、自由意志経験と神の認識両立事実明らかにしていると書いている。

※この「心身合一の問題」の解説は、「ルネ・デカルト」の解説の一部です。
「心身合一の問題」を含む「ルネ・デカルト」の記事については、「ルネ・デカルト」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「心身合一の問題」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「心身合一の問題」の関連用語

心身合一の問題のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



心身合一の問題のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのルネ・デカルト (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS