心身二元論の伝統への対抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 01:47 UTC 版)
「カルテジアン劇場」の記事における「心身二元論の伝統への対抗」の解説
デカルト以来、哲学的伝統は精神と身体を異なる実体として考える心身二元論が主流となっていた。この伝統に従うと、人間の脳の中では、身体を通して経験された事柄を、劇場の中で鑑賞する小人(ホムンクルス)のような役割を精神が果たしていることになる。このような伝統的意識モデルのうちに暗黙に前提されているのが、身体とは相互排他的な関係にある実体としての精神という心身二元論なのである。そのように経験された感覚的データが小人の前で上映される架空の劇場のことを、デネットはデカルト的二元論から派生した意識のモデルであるとして、カルテジアン劇場と名づけたのである。 ホムンクルスすなわち「意識する私」という中央本部のようなものを、脳の中のどこか(例えば特定のニューロン)に発見できるような思い込みを、デネットはギルバート・ライルに倣ってカテゴリー・ミステイクであるとしている。意識する私という存在自体がどのように意識しているのかを再度考えなければならず、その際に同じ論法を繰り返しても結論として意識する私が現れ、無限後退に陥るからである。
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