復活と保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 22:55 UTC 版)
昭和30年代(1955 - 1965年)頃、天満菜はいちど市場から消えている。理由については「ハクサイの人気に押されて需要が下がった」など諸説ある。 2005年、大阪市の制度として「大阪市なにわの伝統野菜」の認証が始まった。現在、大阪しろなを含む9種類の野菜が認証を受けている。これとは別に大阪府の制度としての「なにわの伝統野菜認証制度」が存在するが、大阪しろなはこちらの認証も受けている。 2012年9月、大阪府漬物事業協同組合が天満菜の50年ぶりの復活と特産化を目指し、石橋明吉(なにわの伝統野菜研究所主宰)から種子を譲り受け、大阪府立環境農林水産総合研究所(食とみどり技術センター)に種子の母本選抜を依頼した。2013年5月、種子の採取に成功し、2013年9月から天満菜を栽培し、漬物に加工して小売販売をしている。 現在、天満菜の保存・復活を目的として「天満菜の会」が活動している。
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復活と保存
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 01:19 UTC 版)
明治から大正、昭和にかけて食生活が洋風化し、味よりも生産性(低価格)や外形(味に無関係な美形)を重視する消費者嗜好の変化から、伝統野菜は新しい品種に駆逐されていく。田辺大根の場合は宅地化の進行と1950年頃に発生したウイルス病により市場から一時姿を消した。 1987年、大阪府立食とみどりの総合技術センターの元研究者で農学博士の森下正博が、大阪市の農産物品評会で田辺大根の種子を発見する。種子を譲り受け、栽培していたところ、1999年、「原産地の田辺で復活栽培できないか」と考えた市民グループが「田辺大根ふやしたろう会」を結成した。同会メンバーの谷福江は「田辺大根は地域の人々を結ぶ材料になっている」と強調する。 2005年、大阪府の制度として「なにわの伝統野菜」の認証が始まる。田辺大根も同制度の認証を受けている。 現在、原産地である大阪市の他、河南町、貝塚市、堺市など府内各地で生産されている。 2018年12月29日、『満天☆青空レストラン』で放送される。
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