従軍体験
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1941年(昭和16年)、徴兵の為帝国陸軍の高射砲連隊(浜松市)に入営。後に船舶部隊(暁部隊)の船舶砲兵に転科、陸軍徴用船である軍隊輸送船に乗船し備砲たる高射砲の操作要員(船砲隊員)となり(船舶砲兵第1連隊)、太平洋戦争における数々の輸送任務に従軍。 初の実戦経験は1942年(昭和17年)3月1日に行われたジャワ島上陸作戦(蘭印作戦)であり、輸送船「神州丸」(同名の陸軍特種船/強襲揚陸艦「神州丸」とは異なる)に座乗していた。この他、「ぶゑのすあいれす丸」、「高島丸」、機動艇(SS艇。中型揚陸艦)等26隻の輸送船に乗船し計6回撃沈されている。上田は軍務の傍ら、乗船やすれ違う艦船などを軍事郵便ハガキにスケッチし、またジャワ島、アリューシャン列島、ラングーン湾(ビルマ)など、赴く土地の空や海の色を頭に叩き込んだ。 1944年(昭和19年)の大戦末期には優秀輸送船「金華丸」(レーダー搭載)に乗船。「金華丸」は多号作戦(フィリピン防衛戦)において兵員・物資の輸送任務に従事、護衛の駆逐艦や上空援護の四式戦「疾風」の活躍もあり、オルモック湾において11月1日より行っていた揚陸を成功させた。しかしながら、11月14日にはマニラ湾にて敵機250機からの3日間に渡る空襲を受けて「金華丸」は沈没、船砲隊員の3分の2は戦死し、船首の砲座にいた上田は海に飛び込み、3、4時間漂流の後に一命を取り留めたものの、利き腕の右手と右足を負傷して障害を残した。
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