従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へとは? わかりやすく解説

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従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 16:02 UTC 版)

ゴーマニズム宣言」の記事における「従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ」の解説

従軍慰安婦問題への事実関係についての疑問発表。それをきっかけ左派人権派激し批判を受ける。その一方で自虐史観に対して憂えていた人達からは熱狂的支持を受ける。この為小林反権力意見共感していた一部読者は、これを機に離れていった。小林は後の著書『本日の雑談』にて「慰安婦問題戦争論で左の読者離れ保守批判した事で右派離れた商売としては美味しくない。でも、わしは自分正義を貫くだけだから。」と、語った。 その流れから新しい歴史教科書をつくる会参加当初つくる会は、藤岡信勝司馬史観進んでいて、大東亜戦争肯定論を語る知識人呼ばない戦略立てていた。しかし小林は「戦争論執筆の際には司馬史観飛び越え大東亜戦争肯定論」を描いた。そして『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』がヒットした事で、つくる会がそれに追従する形となる。自らも西尾幹二強く依頼された事から教科書内容執筆し漫画でも克明に作業やりとりについて記した発刊しばらくして会の運営理論姿勢等について内部行き違い発生し小林一部支持者親米主義批判的態度強めて行き遂に脱会する事となる。小林脱会後つくる会では大東亜戦争批判的な意見少なからず挙がっており、小林そのこととらえて脱会後つくる会を「ポチ保守」として批判している。

※この「従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ」の解説は、「ゴーマニズム宣言」の解説の一部です。
「従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ」を含む「ゴーマニズム宣言」の記事については、「ゴーマニズム宣言」の概要を参照ください。

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