従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ
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「ゴーマニズム宣言」の記事における「従軍慰安婦問題から「新しい歴史教科書をつくる会」へ」の解説
従軍慰安婦問題への事実関係についての疑問を発表。それをきっかけに左派や人権派の激しい批判を受ける。その一方で自虐史観に対して憂えていた人達からは熱狂的支持を受ける。この為小林の反権力的意見に共感していた一部の読者は、これを機に離れていった。小林は後の著書『本日の雑談』にて「慰安婦問題や戦争論で左の読者が離れ、保守を批判した事で右派も離れた。商売としては美味しくない。でも、わしは自分の正義を貫くだけだから。」と、語った。 その流れから新しい歴史教科書をつくる会に参加。当初のつくる会は、藤岡信勝の司馬史観 で進んでいて、大東亜戦争肯定論を語る知識人を呼ばない戦略を立てていた。しかし小林は「戦争論」執筆の際には司馬史観を飛び越え「大東亜戦争肯定論」を描いた。そして『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』がヒットした事で、つくる会がそれに追従する形となる。自らも西尾幹二に強く依頼された事から教科書の内容を執筆し、漫画でも克明に作業ややりとりについて記した。発刊後しばらくして会の運営や理論姿勢等について内部で行き違いが発生し、小林は一部の支持者の親米主義に批判的態度を強めて行き遂には脱会する事となる。小林脱会後のつくる会では大東亜戦争に批判的な意見も少なからず挙がっており、小林はそのことをとらえて、脱会後のつくる会を「ポチ保守」として批判している。
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