当駅付近の路線形態の経緯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 当駅付近の路線形態の経緯の意味・解説 

当駅付近の路線形態の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:39 UTC 版)

新鎌ヶ谷駅」の記事における「当駅付近の路線形態の経緯」の解説

新京成線東武野田線は当駅がある地点交差していたが、新京成東武両社とも長い期間この地点に駅を設置しなかった。このため、両路線乗り換え新京成線初富駅東武野田線鎌ヶ谷駅によって行われたが、両駅の距離は約1キロメートルkm)であり、古くから新京成線東武野田線交差地点乗り換え駅要望する声はあったが、長らく実現はしなかった。その後1979年昭和54年)に北総線第一期区間北初富 - 小室間)が開業したことで3線が交差隣接した。この時、同線には後に新鎌ヶ谷駅となるホームなどの躯体建設されたものの、駅は設置されず、同線と新京成線との乗り換え乗り入れのために接続する隣駅の北初富駅行われたまた、東武野田線とは接続されていなかった。1991年平成3年)、北総線第二期区間(当駅 - 京成高砂間)が開業した際に当駅が設置された。ただし、この時点では新京成電鉄側に駅を設置する予定はなかった。「鎌ケ谷市内の高架化工事完成時まで駅を設置せず、両線の接続乗り入れ継続により行う」という方針よるものである。その後鎌ケ谷市などの働き掛け費用負担方針変わり1年後1992年平成4年)に新京成線北総線乗り入れ廃止され新京成線にも乗り換え駅として新鎌ヶ谷駅設置された(管理北総鉄道実施)。 東武野田線については、以前から地元住民通勤客、鎌ケ谷市などから東武鉄道へ駅設置要望相次いでいた。同社野田線複線化にあたり新京成線高架化まで同線との交差部を複線できないことから、1989年より当駅近傍に「新鎌ヶ谷信号場」を設置し六実から同信号所までの複線化実施したものの、駅は設置されなかった。新京成線の駅設置時にも現在の新鎌ヶ谷駅周辺に駅を設置する予定はなかった。しかし、費用乗り換え駅所在地地方公共団体鎌ケ谷市)が拠出することを条件に、東武側が(駅を設置しないという)方針変更し、市や周辺住民要求を飲む形で北総線の駅設置から8年後となる1999年野田線新鎌ヶ谷駅設置された。なお、ほぼ同じ理由北総線東松戸駅乗り換え駅として東日本旅客鉄道JR東日本武蔵野線にも1年前の1998年平成10年3月東松戸駅開業している。 北総線ホーム1979年昭和54年)の同線開業時から2面4線の躯体用意されいたものの、1991年の当駅開業時には当時輸送需要ダイヤなど鑑み北側1面2線しか供用されず、南側には留置線設置されたもののホーム長年放置されたままであったが、成田スカイアクセス開業に伴い輸送力増強するにあたり2007年平成19年)から南側ホーム供用されるに至ったかつては本八幡駅より都営新宿線が当駅まで延伸する計画もあったが、2010年平成22年)に計画白紙となったその後東京10号延伸新線として千葉県市川市鎌ケ谷市と共に事業化模索していたが、2013年平成25年9月3日検討委員会解散となった詳細千葉県営鉄道の項を参照)。

※この「当駅付近の路線形態の経緯」の解説は、「新鎌ヶ谷駅」の解説の一部です。
「当駅付近の路線形態の経緯」を含む「新鎌ヶ谷駅」の記事については、「新鎌ヶ谷駅」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「当駅付近の路線形態の経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「当駅付近の路線形態の経緯」の関連用語

当駅付近の路線形態の経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



当駅付近の路線形態の経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの新鎌ヶ谷駅 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS