当時の施設周辺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:12 UTC 版)
宝田石油から寄贈された土地であることに因み、所在する公園には「宝田公園」の名が付与され、1964年の新潟国体開催時には大手通側の広場に噴水が、翌1965年(昭和40年)6月には国体開催を記念した3体のブロンズ像「三つの力」(長岡市出身の彫刻家、広井吉之助作)が噴水の中央部に建立された。「若く漲る力で躍進する青年たちの姿と人の和」を表したもので、建立費用は北越銀行とイチムラの寄付によって賄われた。 厚生会館の解体及びアオーレ長岡の建設工事に伴い、宝田公園と長岡セントラルパークは閉鎖され、宝田公園の跡地は屋根付き広場「ナカドマ」と大手通りに面する広場「マエニワ」の用地に、長岡セントラルパークの跡地はアリーナ棟の用地に充当された。また「三つの力」は撤去した上で市が保存し、市役所本庁舎移転後から耐震補強工事が行われていた市役所幸町庁舎に整備された「さいわいプラザ」前の広場に、2014年(平成26年)春移設された。 宝田公園 1921年(大正10年)、長岡市が宝田石油から本社跡敷地の提供を受けて整備を進め、1925年(大正14年)開園。のちに建設された旧公会堂、旧厚生会館の「前庭」となっていた。 旧厚生会館の後年、園地の東側は更地になっており、臨時駐車場としても供用されていた。西側には各種遊具が、北側にはベンチや噴水、植込みなどが設けられており、会館のロータリーとしての役目も担っていた。また噴水中央にはブロンズ像「三つの力」が設置されていた。 アオーレ長岡の建設に伴って、2008年に用途廃止となった。 城内稲荷神社 前述の通り長岡城二の丸の跡地であり、長岡城築城時の謂れから稲荷神が祀られている他、長岡城址の碑などが建立されている。神社はアオーレ長岡の竣工後も「マエニワ」の隣接地に存置されており、長岡観光コンベンション協会などが入居する隣接地の水野ビル側には、アオーレ長岡所在地の沿革を記したパネルが設置されている。 長岡セントラルパーク 旧厚生会館裏手に1970年(昭和45年)開園した公園。旧厚生会館の「裏庭」となっており、造園家・環境デザイナーの池原謙一郎が園内のデザインを手掛けた。 アオーレ長岡の建設に伴って、2008年に用途廃止となった。
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