当初の構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 02:29 UTC 版)
「Anthem (ゲーム)」の記事における「当初の構想」の解説
本作の開発は、『Mass Effect 3』のリリース直後の2012年に、『Mass Effect(以下、シリーズの総称としては『ME』と表記)』3部作のエグゼクティブプロデューサーであるケイシー・ハドソンの下で開発が始まった。当初のコードネームは「Dylan」というもので、これは「ボブ・ディランのように長く語られる存在になるように」という思いからだったらしい。その後「Beyond」という名になり、2017年まで使われていた(以下では便宜上、基本的に『Anthem』と表記)。 開発当初、バイオウェアは『Dragon Age: Inquisition(以下『DA:I』)』を2014年に発売するため、会社全体が開発に注力していた。本作のチームはしばらくの間規模も小さく、謎のプロジェクトだった。「Dylan」と呼ばれていた当初のコンセプトは野心的なもので、常に変化し続けていたという。この時点ではアクションやマルチプレイといった構想はあっても、まだ誰もどういうゲームになるか分かっていなかった。一つの目標は、『ME』や『Dragon Age(以下、シリーズの総称としては『DA』と表記)』といった従来の作品とは一線を画すものにすることだった。すぐに出てきたコンセプトの一つが、危険に満ちた惑星を舞台にするというものだった。数ヶ月の間に核となる部分が出来上がっていき、それは惑星中に強大な怪物がいて強化スーツを着たプレイヤーが生き残るために戦い、大規模な災害が各地で起こり、スーツの強化や他のプレイヤーとのプレイの共有ができる、といったものだった。E3 2014でのタイトル未定のティザー映像として、これらプロトタイプの一部を見ることができる。 本作は当初からオンラインマルチプレイとしてはいたが、現在のようにルートシューター的なものというより、サバイバル要素が大きかったようである。当時開発者たちの士気は高かったが、同時にこれら壮大な構想が本当に実現できるか懸念もあったようである。そういう中の2014年8月、チームを率いていたケイシー・ハドソンがバイオウェアを退社してしまう。もう自分なしでも大丈夫だと感じたからといい、2011年にディズニーからEAに移ったジョン・ワーナーが後任についた。しかし、『ME』3部作がハドソンの強いリーダーシップの下開発されていたと感じていた者は多く、その人物が去ったことに今後を不安視する向きもあった。しかしそれでも『Anthem』開発チームの士気は依然高かった。発売された『DA:I』は高い評価を受け、その開発者の多くが『Anthem』のチームに移った。『Anthem』には多くの可能性があると信じ、技術的な問題や方向性の変更で開発に苦戦していた『Mass Effect: Andromeda(以下『ME:A』)』の様な事は起こるはずがないと思っていた。
※この「当初の構想」の解説は、「Anthem (ゲーム)」の解説の一部です。
「当初の構想」を含む「Anthem (ゲーム)」の記事については、「Anthem (ゲーム)」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から当初の構想を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から当初の構想 を検索
- 当初の構想のページへのリンク