弦理論と核物理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 02:54 UTC 版)
「AdS/CFT対応」の記事における「弦理論と核物理学」の解説
詳細は「弦理論の歴史(英語版)」および「1/N展開 」を参照 1997年の末のAdS/CFT対応の発見は、弦理論と核物理学を関連付ける努力の長い歴史の頂点であった。 事実、弦理論は本来、1960年代の末から1970年代の初めにかけての間は、陽子や中性子が互いに強い力で結びつけられているような亜原子粒子やハドロンの理論として研究されていた。アイデアは、これらの粒子の各々が弦の異なる振動モードとみなすことができることである。1960年代末、実験家は、角運動量に比例するエネルギーの二乗のレッジェ軌跡(英語版)と呼ばれる族にハドロンが落ちることを発見し、この関係が回転する相対論的な弦の物理から自然にでてくることに気付いた。 他方、弦としてハドロンをモデル化しようとする試みは、深刻な問題に直面した。一つの問題は、弦理論が無質量でスピン2の粒子を持っているのに対し、そのような粒子はハドロンの物理には現れないことであった。 そのような粒子は重力の持つ性質を媒介にするのではないか。1974年にジョエル・シャーク(英語版)とジョン・シュワルツは、弦理論は核物理学の理論ではなく、多くの理論家が考えるように量子重力に変わるべきものではないかと示唆した。 同じ頃、ハドロンは実際、クォークからできていることが発見され、量子色力学の方向性が選択されたため、弦理論のアプローチは捨てられてしまった。 量子色力学によると、クォークは3色の色荷と呼ばれる電荷のようなものを持っている。1974年の論文で、ジェラルド・トフーフトは量子色力学に似た理論を考えることにより別の観点より、弦理論と核物理学の間の関係を研究した。そこでは、色の数は3でななく、ある任意の数 N {\displaystyle N} である。この論文で、トフーフトは N {\displaystyle N} が無限大となるような極限を考え、この極限では、場の量子論の計算が弦理論の計算に似ていることを議論した。
※この「弦理論と核物理学」の解説は、「AdS/CFT対応」の解説の一部です。
「弦理論と核物理学」を含む「AdS/CFT対応」の記事については、「AdS/CFT対応」の概要を参照ください。
- 弦理論と核物理学のページへのリンク