引分のからんだ優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 07:25 UTC 版)
「引分 (相撲)」の記事における「引分のからんだ優勝」の解説
引分を優勝争いの場合にどう扱うか、明確でない部分がある。価値の大小でいえば「白星>引分>黒星」であることは明らかであるが、現行の規定では例えば「14勝1敗と13勝2引分ではどちらが上位か?」という議論が起こりうる。現実的には有り得ないと思われているケースだけに見過ごされているが、引分の存在を認める以上は明確にする必要がある。ただ優勝額制度発足の1909年6月場所では平幕の高見山酉之助が7勝3分で大関太刀山(8勝2敗)をおさえて優勝しており、優勝を勝ち星の数ではなく勝ち越し点(勝ち星-負け星)で競う原則は現在まで変更されていない。 なお、引分を記録した力士が優勝争いにからんだ最後の例は、1958年11月場所の初代若乃花で、7日目に出羽錦と(3度目の)引分があって14日目を終わって12勝1敗1分、13勝1敗の3代朝潮と千秋楽結びの一番となり、勝てば朝潮を半星差で逆転して優勝だったが(朝潮は引分でも優勝)敗れている。また前述の幕内最後の引分を記録した1974年9月場所の三重ノ海も最終的に11勝3敗1分で、14勝1敗の輪島に2勝半の差ながら優勝次点に当たる成績を残している。 さかのぼれば1923年1月場所千秋楽横綱栃木山と大関源氏山が、8勝1敗同士勝った方が優勝の相星決戦で引分になっている。当時優勝決定戦はなく、同成績の場合は番付上位の者が優勝となる制度だったため、特に問題なく栃木山の優勝が決まったが、現在同様のことが起きた場合どうなるのかも明確な規定はない。 このほか、成績には直接記録されなくとも、例えば優勝決定戦での取組で引分となり得る可能性もある。現行制度では優勝決定戦は必ず相星成績の者が対戦するため、優勝決定戦での取組で勝負がつかない場合は優勝の裁定をどうするのか議論の余地がある。
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