建造・テスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 16:18 UTC 版)
「ルシタニア (客船)」の記事における「建造・テスト」の解説
ルシタニアの船名は古代ローマ属州のひとつであった「ルシタニア」に由来する。キュナード・ラインによって発注され、ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーの367番ドックで1904年6月16日に建造が始まり、1906年6月7日木曜日に進水した。 ルシタニアと姉妹船のモーリタニアが建造された時期には、ブルーリボン賞を巡る客船のスピード競争がイギリスとドイツの間で繰り広げられていた。20世紀初頭、このブルーリボン賞はドイツが独占しており、イギリスはこれを取り戻そうと必死であった。同時に資産家であったジョン・モルガンが北大西洋を航路とする海運企業の買収を計画しており、その中にはキュナード・ラインのライバル企業ホワイト・スター・ライン社も含まれていた。これを受けキュナード・ラインは1903年、バルフォア政権から260万ポンドの援助を受けてルシタニア・モーリタニアの2隻を建造することを発表し、イギリス政府も有事の際には軍が徴用し仮装巡洋艦として使用することを前提に15万ポンドの維持費を援助すると発表した。 1907年7月27日、ルシタニアのテストが始まった。この時のスピード記録はそれまでの客船の歴史を塗り替えるものだったが、一連の試験航海では最高速度で航行すると激しい振動が発生したため、対策として船体の補強追加工事を行い、ルシタニアは最終的に同年8月26日にキュナード・ラインに引き渡された。 1907年9月7日にニューヨークに向けて処女航海をし、9月13日に到着した。この時、ルシタニアは新たな記録を打ち出して客船ドイッチュラントの記録を破り、ブルーリボン賞を受賞した。
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