庄内用水元杁樋門
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「堀川 (名古屋市)」の記事における「庄内用水元杁樋門」の解説
庄内用水元杁樋門(しょうないようすいもといりひもん)は、堀川の水源となる庄内川(庄内用水頭首工)から取水した水の樋門。名古屋市守山区瀬古にある。 庄内用水は運用開始時には庄内川を越えてさらに北の地域への船運にも利用する計画であったことから、元杁樋門も船舶が往来できる高さを持った水路となっている。矢田川を暗渠を築いて越えてまで庄内川の水を採取する構造としたのは、矢田川の水がその上流に瀬戸の陶土地帯を持つなど砂を多く含み、勾配のほとんどない堀川に流入させると砂が溜まることによる維持管理に労力がかかることを避けるためである。 2012年時点で現存する樋門は1910年(明治43年)に改修された石造りのものであり、この建造には「人造石工法」が用いられている。 人造石工法とは、日本家屋における土間のような土を固める技法である「たたき」を大規模な土木建造物においても使用できるよう、愛知県碧南生まれの職人服部長七が改良したものである。消石灰に多量の風化花崗岩を混ぜて水練りしたものに砂を加えた上で、石と交互に積み上げ突き固めるものであった。工事が行われた当時はセメントが輸入されるようにはなっていたものの非常に高価であり、一般の工事に使用できる状況ではなかったが、服部の人造石工法によりコンクリートと同等の構造物を築くことが可能となった。また、人造石工法で用いる消石灰はより安価な代替物の使用もできたことから、その後の大規模工事(熱田港築港や宇品港築港、四日市港岸壁工事など)に広く用いられるようにもなった。服部は1904年(明治37年)に事業から引退したが、愛知県ではその後しばらくの間人造石工法を用いた治水灌漑事業を続けており、庄内用水元杁樋門工事はその一つである。 なお、下流の矢田川伏越も同工法で造られていたが、後にコンクリート製のものに改築されたため、2012年時点で名古屋市内に現存する人造石工法の建造物は庄内用水元杁樋門のみとなる。 庄内用水元杁樋門は1993年10月12日付で名古屋市都市景観重要建築物等に指定された。2015年に土木学会選奨土木遺産に選ばれる。 地図
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