庄内用水元杁樋門とは? わかりやすく解説

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庄内用水元杁樋門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:16 UTC 版)

堀川 (名古屋市)」の記事における「庄内用水元杁樋門」の解説

庄内用水元杁樋門(しょうないようすいもといりひもん)は、堀川水源となる庄内川庄内用水頭首工)から取水した水の樋門名古屋市守山区瀬古にある。 庄内用水運用開始時には庄内川越えてさらに北の地域への船運にも利用する計画であったことから、元杁樋門船舶往来できる高さを持った水路となっている。矢田川暗渠築いて越えてまで庄内川採取する構造としたのは、矢田川がその上流に瀬戸陶土地帯を持つなど砂を多く含み勾配ほとんどない堀川流入させると砂が溜まることによる維持管理労力がかかることを避けるためである。 2012年時点現存する樋門1910年明治43年)に改修され石造りのものであり、この建造には「人造石工法」が用いられている。 人造石工法とは、日本家屋における土間のような土を固め技法である「たたき」を大規模な土木建造物においても使用できるよう、愛知県碧南生まれ職人服部長七改良したのである消石灰多量風化花崗岩混ぜて水練したものに砂を加えた上で、石と交互に積み上げ突き固めるものであった工事が行われた当時セメント輸入されるようにはなっていたものの非常に高価であり、一般工事使用できる状況ではなかったが、服部人造石工法によりコンクリート同等構造物を築くことが可能となったまた、人造石工法用い消石灰はより安価な代替物使用もできたことから、その後大規模工事熱田築港宇品港築港四日市港岸壁工事など)に広く用いられるようにもなった。服部1904年明治37年)に事業から引退したが、愛知県ではその後しばらくの間人造石工法用いた治水灌漑事業続けており、庄内用水元杁樋門工事はその一つである。 なお、下流矢田川伏越同工法で造られていたが、後にコンクリート製のものに改築されたため、2012年時点名古屋市内に現存する人造石工法建造物は庄内用水元杁樋門のみとなる。 庄内用水元杁樋門は1993年10月12日付で名古屋市都市景観重要建築物等指定された。2015年土木学会選奨土木遺産選ばれる地図

※この「庄内用水元杁樋門」の解説は、「堀川 (名古屋市)」の解説の一部です。
「庄内用水元杁樋門」を含む「堀川 (名古屋市)」の記事については、「堀川 (名古屋市)」の概要を参照ください。

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