幻の貨客船・空母へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/28 08:56 UTC 版)
「橿原丸級貨客船」の記事における「幻の貨客船・空母へ」の解説
橿原丸級貨客船は「紀元二千六百年記念事業」の一環で建造されたが、折から日本海軍は1941年(昭和16年)度戦時編成の策定を控え、民間船舶の大量徴傭に踏み切るかどうかの最後の決断を迫られていた。1940年(昭和15年)10月、日本海軍は橿原丸級貨客船を空母に転換することを決定し、11月8日付で「出雲丸」を第1001番艦、「橿原丸」を第1002番艦とした。さらに編成の実施時期から逆算して竣工を待って特設空母とするには時間的余裕がなくなったと判断され、1941年(昭和16年)1月21日付で日本海軍による橿原丸級貨客船の買収が決定。「橿原丸」の建造命令が2月10日、「出雲丸」の建造命令が2月15日にそれぞれ取り消され、2隻合わせて48,346,000円の金額で買収が行われた。建造中止の時点で「橿原丸」は上甲板まで完成していた。また、東洋陶器製の1基500円の浴槽は防火水槽に転用された。買収時点では開戦のもくろみは不透明であり、不要と判断された場合の措置は別途研究とされた。やがて「出雲丸」改め第1001番艦は空母「飛鷹」、「橿原丸」改め第1002番艦は空母「隼鷹」として竣工した。 かくして橿原丸級貨客船は「幻の船」となった。橿原丸級貨客船が無事に竣工していれば、太平洋戦争前のすべての日本の商船、貨客船はおろか捕鯨母船も抜き去って最大の船となっていたのは確実であり、その大きさは日本におけるクルーズ客船と比較しても遜色のないものであった。また、「エンプレス・オブ・ジャパン」をも抜いて文字通り「太平洋の女王」に君臨するはずであった。 戦後に三菱長崎造船所で建造された飛鳥は橿原丸を意識した設計となっている。 船名トン数全長全幅備考・出典(当該項も参照のこと)橿原丸27,700トン(計画)28,950トン 220.0 m Loa 206.0 m Lpp 26.70 m 出雲丸27,700トン(計画) 220.0 m Loa 206.3 m Lpp 26.70 m 飛鳥28,856トン 190.0 m Loa 160.0 m Lpp 24.7 m 2006年海外売却 飛鳥II50,142トン 241.0 m Loa 205.0 m Lpp 29.6 m にっぽん丸(3代目)22,472トン 166.60 m Loa 24.0 m ぱしふぃっくびいなす26,594トン 183.4 m Loa 25.0 m おりえんとびいなす21,884トン 174.0 m Loa 24.0 m 2005年海外売却 ふじ丸23,235トン 167.0 m Loa 24.0 m
※この「幻の貨客船・空母へ」の解説は、「橿原丸級貨客船」の解説の一部です。
「幻の貨客船・空母へ」を含む「橿原丸級貨客船」の記事については、「橿原丸級貨客船」の概要を参照ください。
- 幻の貨客船・空母へのページへのリンク